ジョン万次郎の波乱万丈の人生に興味を持ち、津本陽著「椿と花水木」、山本一力著「ジョン・マン波濤編」を読み、今回は中濱万次郎氏‐慶三郎氏‐正男氏‐武彦氏(著者)と続く系図の本書を読んだ。本書は後半生をしっかり描いていることが特徴だ。前半(10年振りの帰国1851年24歳まで)は簡潔に要点だけである一方、後半の日本での活動、家族の様子、万次郎の晩年、子孫達の交流等々、読み応えがある。John Mungの信念は、知恵と工夫と努力、「決して諦めない」という姿勢で、どんな厳しい状況でも必ず道は開ける、というものだ。この諦めない、前向きに行動する、そして勉強する万次郎の姿勢には刺激される。万次郎は努力もあるが強運の持ち主でもある。黒瀬川に流されたが鳥島に漂着出来たこと、143日の無人島生活の後に米捕鯨船に救助され、しかもWilliam H.Whitfield船長であったこと、米国New EnglandのFairhaven/New Bedfordというリベラルな地であったこと、CA金鉱発見があったこと、鎖国の日本再入国を琉球沖縄にしたこと、薩摩藩主・島津斉彬、土佐藩主・山内豊重(容堂)、老中・阿部伊勢守正弘、江川太郎左衛門英龍等々がいた時代だったことは大きい。本書の特徴の一つに子孫ならではの万次郎に対する疑問投げかけがある。例えば、当時死罪が免れない鎖国日本にどうして敢えて帰国を決意したか? 何故に万次郎は日本の「開国」を強く決意したのか? 帰国を決意した時どうしてハワイの伝蔵(筆之丞)達を誘ったのか?これらも興味深かった。因みに島津公からは帰国理由は「母恋しさの一心で帰ってきた」で押し通せと言われていた由。万次郎英語についての記述は「レイロー」「テレカラーフ」しかないのが残念だった。万次郎43歳とWhitfield船長65歳の21年振りの再会、息子の中濱慶三郎海軍主計大尉とMarcellus P.Whitfield氏の対面は印象的だ。それ以降も両家族を始め、土佐清水市とFairhaven市、New Bedford市の姉妹都市で若い世代の交流が続く。