SMクラブのS女王様が直子の現在の仕事である。直子は客で
あるM男の個性的な注文にいかにして答え、M男達を満足させ
癒してあげるかに、プロとして日々知恵を絞っている。直子は
またバイセクシャルという自らの性向のため千佳,純、奈々な
ど複数の女性と性関係を持ち、時には一緒に暮らしたりしてい
る。この直子の日記にはSMクラブでの仕事の様子や女友達と
の奔放な生活の有様が赤裸々に綴られている。もしもこれが、
男性作家の手になるいわゆる煽情小説で、この内容なら、恐ら
く僕も劣情煽られまくり状態になったのに違いない。しかし、
この日記を読んでいると、ひどいSMシーンや女性同士のえげ
つない姿態をさらしてのからみあいも不思議なくらいさらりと
流れて行く。日記の目的が男の性感帯刺激にはないのだから至
極当然のことである。
しかし単純に日常を書き留めるにしては余りにも異常な世界で
ある。書きたかったのは何だろう? 女友達への愛しい気持ち
? S男あるいは成りすまし馬鹿男への嫌悪?
味付けに微妙な変化をつけるが、本質的には同じことを繰り返
しているSMクラブでの仕事、女友達とは常にタチ役で接する
愛しい日々、しばしば怠惰に何日も過ごし世間からは淫らな生
活と見られるかもしれないが、この町での暮らしは穏やかに流
れているように思えた。しかし千佳は逃れるように韓国へ去り
、純も男との生活を選んだ。奈々も去った。高校時代の親友孝
ちゃんは心を病み、やがて自殺を図った。常に引越しをしてい
る直子は日記の終わりの方では、この愛しい町も去る日が来た
ことを悟る。鴨長明の方丈記ではないが、行く川のような無常
といったものをこの日記は強く印象づける。
僕は男であるせいか、女同志がからんでいても、どの女が好き
とか嫌いとかの関心が湧かないが、この日記に出てくる男(M
男は対象外として)に関しては好き嫌いをはっきりと言える。
町下クンなんてのは嫌いだし、「空」のマスターもテレビドラ
マに出てくるタイプの人物で嫌いだ。彼の言ってることはほと
んど僕の頭に入ってこない。客の秘密を他の客に流すおしゃべ
りなところも嫌だ。たった一度だけ出てくるケンちゃんは、直
子が血を見るのが好きだと聞くと、自分の顔をコンクリートに
たたきつけて血を流してみせて、にっと笑った。ケンちゃんは
馬鹿だけど天使のような心を持っているんだろう。ピーター・
アーツは真正サディストではないかと最初思ったが、この男は
最後まで謎だった。「俺には心はないぜ。」と言う彼の言葉は
何か非常に正しい日本語のように思える。それにユニークだ。
更に謎なのは、幼い直子を残して家を出ていった直子の父だ。
父は「直は良い子だ、本当に良い子だ。」と彼女を抱き上げた。
その3日後に父は去った。何だろう、非常な優しさをこの父に
は感じるのだが・・・
この日記では直子は一人称として迷った末に「ワシ」という言
葉を採用している。直子は若い女性なんだけれど、確かにもの
すごくオッサンなところがある。しかし僕の覚えている範囲で
は2度だけ「私」と記した箇所があった。一つはピーター・ア
ーツが哀れな女の子に一軒家を突然与えた日だった。もう一つ
は直子が死の近い父との面会を果たした日だった。直子が男に
も愛情を抱くことの出来た数少ない日だったのではないだろう
か。
直子は「実に下らない理由」で高校を退学させられた。その高
校での最後の日に無二の親友だった孝ちゃんとソフトボール部
の部室で一晩語り明かした。二人ともソフトボール部だった。
夜が明けてから二人はグラウンドに出て、一人がボールを空に
向かって投げ上げては、もう一人が落ちてくるボールを受ける
練習をした。何回も何回も空高くボールを投げ上げた。澄み切
った青い空だった。
これは今は心を病んだ孝ちゃんとの懐かしい日の思い出だ。め
ちゃめちゃ綺麗な場面だ、だから尚更哀しい。