フーコーがコレージュ・ド・フランスで開講した小規模なゼミナールの記録です。前半はゼミナールを通して集められた訴訟資料、後半はフーコーとゼミナール受講者による論考集になっています。フーコー自身、コレージュ・ド・フランスの講義で、この訴訟資料を何度も参照しながら、「狂気」や「権力」の分析を進めていくので、フーコーの構想の道筋をたどる上で重要な位置づけとなる本だと思います。
ピエール・リヴィエールの手記や精神鑑定書、裁判記録などを読んで驚くのは、実にさまざまなエクリチュールが交錯しつつ裁判が進んでいくことです。父が母からひどい仕打ちを受けていた物語、父を救うことで栄誉に至ろうとする告白、ピエール・リヴィエールを「狂人」とする鑑定結果――これらは別々にあるのではなく、相互に〈取り込み−取り込まれる〉関係のもとで交錯しているように思われます。
ピエール・リヴィエールの例は19世紀のものですが、現代においても凶悪犯罪が起こると、「本当のことを知りたい」という声とともに、新聞記事にさまざまな人の証言(警察の証言、弁護士の証言、遺族の証言)が出ます。「悪魔にささやかれた」と加害者が言いながら、他方で警察が「加害者には特殊な性癖がある」と言う――どこに「本当のこと」があるのか。本書を通して考えさせられることは、きわめて現代的なことです。