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ピエール・リヴィエール---殺人・狂気・エクリチュール (河出文庫)
 
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ピエール・リヴィエール---殺人・狂気・エクリチュール (河出文庫) [文庫]

ミシェル・フーコー , 慎改 康之 , 柵瀬 宏平 , 千條真知子 , 八幡恵一
5つ星のうち 4.2  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
価格: ¥ 1,365 通常配送無料 詳細
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商品の説明

内容紹介

十九世紀フランスの小さな農村で一人の青年が母、妹、弟を殺害した。青年の手記と事件の考察からなる、フーコー権力論の記念碑的労作であると同時に希有の美しさにみちた名著の新訳。

内容(「BOOK」データベースより)

犯罪と精神医学との関係をめぐる研究の過程で、十九世紀フランスの小さな農村に住む一人の青年が母、妹、弟を殺害した事件に出会ったフーコーらは、この殺人犯が残した手記の美しさに驚嘆し、手記を含む訴訟資料の一式および事件に関する論考を一冊にまとめた。フーコーにおける権力と知の分析にとっての記念碑的労作であると同時に希有の強度にみちた名著を、最新の研究成果をふまえて新訳。

登録情報

  • 文庫: 502ページ
  • 出版社: 河出書房新社 (2010/8/4)
  • ISBN-10: 4309463398
  • ISBN-13: 978-4309463391
  • 発売日: 2010/8/4
  • 商品の寸法: 15 x 10.8 x 1.6 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.2  レビューをすべて見る (4件のカスタマーレビュー)
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2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
フーコーがコレージュ・ド・フランスで開講した小規模なゼミナールの記録です。前半はゼミナールを通して集められた訴訟資料、後半はフーコーとゼミナール受講者による論考集になっています。フーコー自身、コレージュ・ド・フランスの講義で、この訴訟資料を何度も参照しながら、「狂気」や「権力」の分析を進めていくので、フーコーの構想の道筋をたどる上で重要な位置づけとなる本だと思います。

ピエール・リヴィエールの手記や精神鑑定書、裁判記録などを読んで驚くのは、実にさまざまなエクリチュールが交錯しつつ裁判が進んでいくことです。父が母からひどい仕打ちを受けていた物語、父を救うことで栄誉に至ろうとする告白、ピエール・リヴィエールを「狂人」とする鑑定結果――これらは別々にあるのではなく、相互に〈取り込み−取り込まれる〉関係のもとで交錯しているように思われます。

ピエール・リヴィエールの例は19世紀のものですが、現代においても凶悪犯罪が起こると、「本当のことを知りたい」という声とともに、新聞記事にさまざまな人の証言(警察の証言、弁護士の証言、遺族の証言)が出ます。「悪魔にささやかれた」と加害者が言いながら、他方で警察が「加害者には特殊な性癖がある」と言う――どこに「本当のこと」があるのか。本書を通して考えさせられることは、きわめて現代的なことです。
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9 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:文庫
ミシェル・フーコーが発掘した19世紀の殺人者ピエール・リヴィエール。母と妹弟を殺害した若者をめぐる当時の裁判記録には、狂気と法をめぐって権力がいかに発動するのかが克明に記録されていた。フーコーらは言説と証言と問題、法の問題、宗教の問題、精神医学の問題、農村の問題などとして丁寧に分析しています。

しかしなっといってもすごいのは、フーコーたちが彼に注目するきっかけになったという本人による手記。父を尊敬するピエールは、母がいかに金銭問題で父を困らせたかを執拗に描きます。革命後のフランスの貧しい農村で起こっていた生々しい愛憎劇。利発な青年が3人を殺さざるを得なかったのはなぜか。トルーマン・カポーティ「冷血」や、日本なら「八つ墓村」のモデルになった筑波昭「津山三十人殺し」などを彷彿とさせる犯罪ノンフィクションとしても傑作です。

現代思想に縁のない方でも楽しめること間違いなし。
このレビューは参考になりましたか?
形式:文庫
演劇としての犯罪。
一家三人惨殺は痛ましいことだが、情けない父親が苛められてたからと長男がしようもない母親を殺す。ついでに妹と弟を殺す。
あまりにもしょぼいみすぼらしくて仕方のないはずの犯罪が今日の私たちに問いかける物とは何か。
初めに断っておくべきものだが当時の証言記録や報道からフーコーやその弟子たちの文章まで含めてあらゆる文章が残っているが、犯人の文章が圧倒的に面白く輝いてる。
それは何故か。

フーコーの弟子たちはこれまたしようもない、権力と犯罪の関係性、狂気とか責任能力とか、司法で医療でどう扱われたかなど、
くだらないどうでもいいことにかかずりあってる。馬鹿だから。
さすがはフーコー、そんなことはしない。
ずばり、何故、ピエールがこのような犯罪に至り、それを訴えたか、当時の物語との類似、役割を語る。
これは二人であることの病でパパン姉妹の犯罪をほとんど閉じられた二人の関係で論じたラカンより、はるかに聡明だ。
どちらの犯罪も演じられた犯罪であり、他者の視線を意識して、それ抜きには有り得ないのは明らかではないか。意味をなさないではないか。
犯罪は精神分析のおままごとでも、司法や医療の分類箱でもない。ラカンやフーコーの弟子はあまりにも的外れなことをやっている。

何も精神分析が無意味とも、狂気と責任能力とかの実証が無意味だなんて言わない。
しかし、この犯罪の場合、違くね?ピエール・リヴィエールはそんなことでは動いていない。

しかし、そういう目で見た時、フーコーの限界もはっきりする。
フーコーの権力分析とは何か。言説の分析だ。
この場合、各種の物語、権力の描き出す物語、大衆文学の描き出す物語、民衆の物語、ピエールが接したであろう参照したであろう物語、様々な言説の相互比較。
しかし、その言説の中に止まっていてはピエール・リヴィエールの犯罪は捉えられないことも明らかだ。
確かに犯人はそれらの物語を参照したろう、それに基づいて行動を計画したろう。
しかし、同じ物語をあまたの人間が読んでいたが、ピエール・リヴィエールたりえたのは一人しかいない。
何故、ピエール・リヴィエールが犯行を犯したのか、しかもあのように。
そのことにはフーコーは何も答えられない。
フーコーの相対的聡明さと絶対的無能さ、愚かさが明らかになる。
フーコーの権力分析=言説分析の限界。フーコーの方法の欠点。フーコーの限界、欠点。フーコーの明らかな愚かさ。
確かに犯人は自分の接することの出来た物語を参照したが、それを演じそれを楽しんだ理由はそこには還元できないわけで。
そこに踏み込んだ犯罪の意味、犯罪の他者性、演じられ他者に差し向けられた犯罪の理由、
それを見ない限り懸命に分析する良心的なフーコーさえ、馬鹿だなとせせら笑われる対象でしかない。
犯罪という形でしか訴えられなかったもの、犯罪を通して訴えたもの、彼の感じた現実の理不尽さ、不当さを超えて与えられるべく求めたものは、
馬鹿なフーコーを超えて読者のあなたに差し向けられている。
リヴィエールが尻をフーコーの方に向けあざ笑っているのが目に見えるようではないか。
いくら権力分析=言説分析しても、それはリヴィエールが訴えようとしたものには、届かない、逆説。
いかにこの言説とリヴィエールの犯罪に相関があるとしても、届かない演じられたものとしての他者の解釈を前提とした犯罪。

孤独に手記を書き、あるいは山に逃れたとき、男が考えたこと、演じ訴え言葉にしようとしたものは、
いかなる権力分析も逃れて読者のあなたにしか届かない、宛てられたものでしかないから。
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