人は,生きて行く限り,食を取る。食は,生命・生活の根幹である。だから,禅では食事を重視し,仏法に従って食べる者を「仏」とさえ呼ぶ。
本書の原典である『典座教訓』は,日常の食事に係る諸行為(食材調達,調理,給仕,摂食,片付け等)を通して禅的な生き方を身に付けられるように,日本曹洞宗開祖=道元禅師が古文で記した指導書である。これを,臨済宗藤井宗哲和尚が,氏の長年の典座(=禅寺の料理長)経験を踏まえ,分かり易い現代文に書き下ろし,解説を加えた(古文も併載)。不幸にも氏は執筆途上で亡くなり,全18章中第10−18章の解説は曹洞宗柿沼忍昭和尚の手による。
禅に,金言「至道無難 唯揀択(=憎・愛)を嫌う」がある。グルメの時代,憎・愛(=好き・嫌い)は食の中にも現れる。厭う事なく,外に望む事なく,心静かに,縁有って食材になった動・植物に,料理に係わった人達に,感謝しつつ頂く。食の一例だが,こんな当たり前の行為も立派に禅である。下ごしらえや後片付け等,食の他の面にも禅を修する機会は,幾らでも在る。
第10章は「椎茸問答」の後日談。道元「如何なるか是れ文字(=仏典・語録)」。典座「12345」。道元「如何なるか是れ弁道」。典座「遍界曾て蔵さず」。"12345"は,難解である。「"12345・・・∞"の略で,世界のありとあらゆる物が文字なのである」,「南泉の"12345"を指し,掛け声のみで実践の無い事を示す」,色々な解釈がある。併載原典中の引用「万像(=多数の文字)窮め来たるに,拠(り所)を為さず」は,「『文字』と化名せる『知識の世界』は,即ち『諸法実相(=「一」)の世界』に非ず」を示唆する。柿沼氏も,「物事の本質は文字によって捉える事はできない」と記す。対して藤井氏の訳には,「文字は単に文字でない・・・,真正,深奥な禅味禅心,真の仏法が体解できうる」とある。看話禅=公案禅の臨済宗藤井和尚としては,致し方ない所なのであろう。しかし,同一章内の異なる2つの解釈は,ビギナーを混乱させる。改版時の改稿が期待される。
書中,記載の重複,誤字も見られるが,これらは大して気にならない。