平成仮面ライダーシリーズは私も大人の観点から楽しませてもらっていますが、こうした製作サイドの人の子どもたちに対する姿勢をみると、多少とも異を唱えたくはあります。
気になることとしては、白倉氏自身が製作を手がけたヒーロー番組への言及がほとんどないことです。古くは初代ウルトラマンから、近年のクウガやコスモスに至るまでの従来のヒーロー作品への批判はあっても、その批判を踏まえた氏の姿勢がどのように平成ライダーシリーズに生かされたのか、見えてきません。これでは説明責任を果たしたことにはならないでしょう。
氏自身の基本的主張は「正義を疑え」「秩序を疑え」ということで、その動機は9/11に対するブッシュの「普遍的正義の押し付け」への抗議だとのことです。しかし「ブッシュの正義」に心から賛同した日本人が、一体どれだけいるでしょうか。むしろ9/11とそれに続く一連の事件は、この日本では「普遍的な正義」を説く立場をますます「いかがわしい」ものと感じさせ、相対主義的な雰囲気を助長するのに一役買った、といったほうが正しいでしょう。
「正義を疑え」「秩序を疑え」というメッセージなら、今さらヒーロー番組で強調しなくても、それこそ19世紀末のニーチェ以来、盛んに繰り返されてきたことです。それどころか、この現代日本でもとうに「普遍的な正義」などいかがわしいものだとする雰囲気は存在している。むしろこちらこそ問題視すべきではないでしょうか。
「既存の善悪の区別を絶対視しない」という批判的視点は確かに必要でしょう。しかしそれなら、時折「超兵器R1号」や「ノンマルトの使者」のような単純な善悪対立で割り切れないような話を時に織り込む、『ウルトラセブン』のような方法もある。最初から「混沌」では、基本的なモラル感覚すら欠いた子どもたちを、ますます世に送り出すだけのことになりかねません。
白倉氏は別の場で「前に典型的な勧善懲悪ものの戦隊シリーズがあるからこそ、次の時間帯で平成ライダーのような作品を作れる」と語っていました。これこそ、秩序解体を唱える立場は、結局は「秩序」のパラサイトでしかない、ということの暗示でしょう。