原著のタイトルは、JUST CULTURE: Balancing Safety and Accountability である。 翻訳の表題『ヒューマンエラーは裁けるか』は、本書の数ある問題提起や主張の中でも、パイロットや医師などの職務上のエラーの法的責任を免責することだけを、全体の文脈を考慮することなく殊更に言い募っているようにも聞こえる点がややミスリーディングであり、原題の方が本書の主張を的確に言い表しているように思う。
本書を評価するうえで、医療・交通などそれぞれの職業分野において技術水準の維持・向上を求める高度な職業倫理の存在が、主張の大前提となっている点を見落とすべきではない。 著者は、こうした職業倫理が機能していれば生じなかったであろう「規範的エラー」と、関係者が十全に職務を果たしてもなお防ぎきれず、業務体制の改善の契機となる「技術的エラー」とを峻別し、前者については厳しい目を向けている。
本書では主として航空機事故と医療事故を題材として取り上げているが、旅客機の運航も医療行為も、ほとんどの場合において航空会社や病院という人的要素と物的要素の有機的融合体である「組織」が業務インフラを提供して初めて可能となる。 組織の責任は、事故を起こした業務に携わった複数の個人の責任の総和ではない。 高度技能職の職務上の事故においては、事故が組織にとって「規範的エラー」と「技術的エラー」のどちらであったか、組織が──象徴的には経営者が──社内の意思決定のプロセスや業務インフラに照らして判定し、社会に示していくことこそが、説明責任(accountability)の本質となる。
本書の問題提起は、高度技能者に業務を依存する全ての業界で、組織として説明責任を果たすための体制や業務フローの構築──例えば、記録の保管体制を整備することも重要な取り組みになる──を求める警鐘と受け止めるべきであろう。「民刑事の法的責任の免責と司法の可及的排除」の当否だけで本書を評価するのでは、事故処理を巡る不祥事が後を絶たない日本社会に暮らす我々は、本書から学べることを自ら制限することになるのではないかと思う。