登録情報
|
日記はおおまかに、二つに分けられ(意識して分けた、というより、自然と気持ちや感じ方が異なってきたのだろう)、前半は主にニューヨークから、ポルトガル(常春の島・マデイラ)、アフリカ(喜望峰)、インド、タイ、香港、などに寄港しながら日本へ来るまでの船の旅と、様々な土地での人との出会いが叙情豊かに描かれており、さながら旅行小説のような雰囲気。
後半は、日本に来てから、条約締結に奔走する日々について簡潔にまとめている。大使と日本側の代表との間で苦労しながらも徐々に日本に愛着を覚えていく様がわかる。自分たちが、日本に対して悪いことをしているのではないか?と苦悩する姿も垣間見られ、単なる史料とは片付けられない力がある。当時の日本で、数少ない日本の理解者であった彼がよりによって暗殺という最期を向かえたのは残念だ。
(イラストつきなのも○)
日本に到着してからは、主に日米修好通商条約の日本側との交渉に関して書かれている。そして1858年6月で日記は中断される。
1861年1月1日から日記は再開されるが、同年の1月8日で終わっている。その一週間後、ヒュースケンは暗殺されるのである。
日本の風物に関する描写は少ないが、当時の日本人を外交折衝と言うものを通して知ることが出来る。
|
|
|