ナチスドイツに関する書籍の多く、特に歴史を取り上げたものはアドルフ・ヒトラーが政治活動に身を投じた1920年から、第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)でドイツ帝国が降伏する1945年5月8日までを一連の流れとして解説するものがおおい。
その中で、1933年1月1日から1934年9月3日までの二〇ヵ月をヒトラーがドイツにおける「権力の階段に足をかけ、登り詰めた」道のりとして定義し、その過程を多方面から分析・解説した良書である。
一般に、ヒトラーは神がかり的なカリスマでドイツの民衆を陶酔させ、一気に「総統」の地位に駆け上がった。しかしその背景にはナチスの陰謀や計略が周到に用意されていた。と、解釈されがちだが本書ではその見方を懐疑的に検証し、従来の「ナチス台頭」に関するイメージをかなり変えさせる内容だ。
第一章「策謀」では、共産党の躍進に恐怖を覚えた保守派政府が「ナチスを利用しようとする」様々な思惑を分析している。
第二章「運命の一日」では1933年1月30日のヒトラー・首相就任をとりあげている。これはナチスの奪い取ったものではなく、保守派が差し出した地位であった。
第三章「国会炎上」。古くから「ナチスの放火による自作自演」といわれてきたドイツ国会議事堂全焼事件は、全くの偶発事件に過ぎなかった。ナチスはこの「好機」を最大限に利用する。
第四章「全権委任」では1933年3月31日に施行された「全権委任法」をとりあげる。これによりヒトラーは独裁者への道を開き、民主主義と憲法を否定するがこれはナチスの単独採決ではなかった。
第五章「権力抗争」では、ヒトラー政権樹立後、ナチ党躍進の原動力となったSA(突撃隊)の権力拡大と対立勢力との抗争を描く。
第六章「国家の殺人」では前章で述べた権力抗争の末に、ヒトラーが盟友であるSA指導者レームを粛正した「長いナイフの夜」事件をとりあげる。
本書でもっとも興味深かった点は、ワイマール共和国最後の大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクのヒトラー観である。通説、「ヒトラーを『ボヘミアの伍長』として軽蔑していた」「高齢で側近の言いなりだった」とされるヒンデンブルグだが、実態は大きく異なっていた。どう異なっていたのかは本書を読んで頂きたい。
そしてヒトラーの急速な権力台頭も、ヒトラー自身の手腕量と大衆の支持のみによるものではなく、ヒトラーを利用できると考えた保守階級(政界・財界・軍部)によって道が開かれ、むしろヒトラーの手腕は彼らに利用されるふりをしながら彼らを同質化(Gleichschaltung)していく過程にあった。
著者のグイド・クノップは歴史番組のテレビプロデューサーであり、彼が手がけたナチスに関するドキュメンタリー番組は日本でも90年代後半に広く放送されていた(NHKの「海外ドキュメンタリー」で放送された「ヒトラー」シリーズ等)。本書の特徴は多数の写真を掲載すると共に、大きな脚注に当時の人々のコメントや歴史家の見解を紹介しているところにある。さながら、映像資料のドキュメンタリー番組にインタビューシーンがカットインするような構成である。これはクノップ作品を読みやすくする工夫だ。文体も専門書ではなくまさにテレビ番組の脚本を意識しており、とても読みやすい。
読後の私感であるが、大衆が政治に関心を持たず、政治家が政争に明けくれている時に、強い意志と能力を持った人物が独裁者となる可能性はどこにでもあるのだろう。ただ、今の日本には独裁者になれるだけの意思と能力を備えた人物はいないようだが。