エキセントリックな煽動家というイメージとは裏腹に、ヒトラーの知識量は(特に軍事面では)側近を遥かに凌いだと多くの証言がある。
高等教育を受けていないヒトラーに膨大な知識を供給したのは毎夜の読書であった。
“自分が元々抱いている観念という「モザイク」を完成させるための「石」を集める”のが、ヒトラーにとっての読書であった。
ラガルドの『ドイツ論』ではユダヤ人をパレスチナへ移送するよう勧める箇所に傍線を引き、
偉大な北欧人種がアメリカでの不幸な移民政策と混血によって消滅しつつあると煽動する『偉大な人種の消滅』の著者グラントに、「私の聖書」だと熱い手紙を送った。
1万6千冊ほどの蔵書が示す通り、反ユダヤ主義や優生思想を裏づける理論武装は徹底しており、
当時とすれば科学を装った多くの理論の裏づけのもと、ナチス政権が運営されていたことを本書は物語っている。
新事実はとくにないものの、ヒトラーとナチスの歴史を重要な書物を切り口として平易に語っている。
万を超える蔵書を持ち、蔵書に細かい傍線やコメントを執念深く書き込みながら読書に耽溺したという点で、スターリンとヒトラーは似ている。
独裁者は極端に猜疑心が強い。周囲を信用せず裏切りを恐れて権力を集中させ、不穏な者は粛清していく。
側近たちは自己保身に走るしかなく、いきおい側近からの情報も信用できない。
唯一、書物の世界に耽溺する時だけが、真実と触れられる時間だと考えたのだろうか。スターリンについての同様の本を期待したい。
カトリックとナチスの融合を理論付けようとした『国家社会主義の基礎』の章にあるラテン語の格言が、本書にはふさわしい。
Habent sua fata libelli.(本にはその本自身の運命がある)
読書は自らの固定観念を裏づけるためだけになされる「石集め」ではなく、未知と出会う冒険であり、変化の触媒であってほしい。