著者ハワード・スーバーはUCLAフィルムスクールの名誉教授(2010年現在)で、多くの脚本家や映画監督を育てて来た人物。(なお著者のインタビューをネット上の動画で見たところ、自身の名を「スーバー」だと確かに発音していました。)
映画の構成要素を腑分けした上で項目名のアルファベット順に並べて寸評を加えたという趣の一冊です。
私は映画をこれまで何千本と見てきたという自負がありますが、それでもまだまだ目の前にありながら気づかずに済ませてしまっていた映画の重要な構成要素がこれほどあるのかと、大いに感じ入りながら頁を繰りました。
たとえばfate と destinyという、日本語で考えるとどちらも「運命」という同一の訳語で片づけてしまいそうな二つの単語の違いについての論考は大いにうならせます。
この本ではfateを「天命」、destinyを「運命」と訳し分けた上で、「人は運命を“追求する”が、天命には“屈服する”」と記します。運命は自分自身に由来する内的要因であり、その運命を信じて手に入れようとするかどうかは自分次第である。その一方、天命は外的要因であって個人の意志ではコントロールできないというのです。アメリカの個人を尊重する思想が背後にあって、すべての個人には自ら運命をコントロールする力が宿るという考えのもと、映画のストーリーが組み立てられているというのです。
特に著者が全編にわたって力を入れて筆を進めるのは、「ヒーローの条件とは何か」ということです。
著者は、「工夫する能力があること」、「望ましい自分を作りあげることができるという自己生成の能力があること」、「手に武器を持つことより心のパワーをもっていること」などヒーローの資質や理由を列挙してみせます。映画のヒーロー(=主人公)たちがなぜ私たち観客の心をゆさぶるのか、それはスーパーパワーをもっているからではないということを著者は説得力をもって語っているのです。
こうした映画関連の英語の書籍はえてして映画のことは知っているが翻訳の技量がない訳者が訳してなんとも独りよがりな日本語版になってしまうのが通り相場なのですが、これはあにはからんや珍しくまっとうで読みやすい日本語訳に仕上がっています。
唯一惜しいのは映画を作ることを「制作」と記していること。日本では映画の場合は「製作」、テレビ番組の場合は「制作」という表記分けが定着しています。