『殺される側の論理』は、アメリカに殺されるベトナム側からの視点などを記した名著だが、本書は、イスラエルに日常的に殺されるパレスチナの住民と同化した著者の視点から書かれたルポ。
2000年・2001年・2009−10年にかけてパレスチナに入り、分離壁に妨げられ、毎日何時間もかけて検問を兵士にバカにされながら通過し、イスラエル側に働きに出るパレスチナ人(以下「人」と略す)、イスラエル側に単身赴任しつつ働く人、難民キャンプで生活する人、経済的に成功した人、イスラエル側に住み、IDも取得した人、デモなど抵抗とそれを口実に攻撃してくるイスラエル兵、深夜の家宅捜査、拷問、エネルギーや水・食糧の封鎖、パレスチナとイスラエルの和平交渉に翻弄される人々。
分離壁や入植地によって、抑圧という言葉では生ぬるい、奴隷状態にされながらも、故郷の土地を守ろうとする民衆の姿とその生活が、自身も襲撃される危険を負いつつも、住民と家族のような信頼関係を保ち、カメラに収め、文章を書く筆者。
読ませる文章ではないし、写真もインパクトが強烈なものではないが、本書の帯文を書いた長倉洋海氏と同じく、出会い、人々のやさしさや悲しみ、必死に生きている姿を切り取る写真が、随所に挟まれる。
チュニジアを発端としたアラブの民主化運動はTVで取り上げられるが、日々誰にも邪魔されずに生きていける場所や権利を求めて闘うパレスチナの姿は、大規模空爆でもない限り取り上げられないし、事態の好転もない。
世界にいくつもそのような闘っている場所はあるが、そんな人々を忘れさせない良書である。