マイルスの自伝を読むと彼のアイドルはディジーだったと書いてある。今までこれはちょっと信じられないフレイズだった。あのクールの代名詞のようなトランペッターがあのメチャ熱いディジーに憧れていたなんて...確かにマイルスがパーカーのバンドにいた時はビバップの真っ只中にあった。だが彼のプレイは意識的にそこから一歩距離を置いたものに感じられた。流石マイルス、流行に囚われず、早くもこの頃から彼独自のオトを追い求めていたんだなぁと思っていた。
だがここに紛れもない真実がある。やはり、マイルスの自伝に書かれていたことは正しかったのだ。驚くなかれ若き日(23才)のマイルスはゴリゴリのビバッパーだったのだ。それもディジーガレスピーやファッツナバロに負けないほどの見事なオープンでのハイノート。はっきり言ってマイリマシタ。当時バースオブクールを録音したばかりのマイルスだったが、スタジオとライブは全然違う。
ケニークラークのドラムスとタッドダメロンのピアノにプッシュされ、灼熱のビバップイディオムを連発する。ニューヨークから遠く離れた外国パリでその本性を遠慮なくむき出しにしたと言えよう。ここでの熱さは後期のフォーアンドモアやアガパン及びジャックジョンソンを連想させるものがある。マイルスをお好きな方は是非一度お聞きになって下さい。彼の喉がつぶれる前の若々しいMCぶりも聴けます。1947年の録音から1977年まで発表されなかった(隠されていた?)大変興味深い記録です。