全六章の大著。
精読できていないが、ざっと見渡すと1、2章が哲学、3、4章が精神分析、5、6章が社会的な
ものを扱っている。これらは決して(循環はしても)止揚されることはないヘーゲル的にフラクタ
ルなトリアーデを形成している(結局ジジェクはヘーゲルをラカン的に構造化しているのだが)。
いつものジジェク節全開だが、柄谷(序文からそのヘーゲル批判がジジェクに影響を与え、これに
全体が呼応する)、アガンベン、バディウら、同時代の並走者への言及が多いのが特徴だ。
いつものジジェクと書いたが、(同時代評の多さ以外に)本質的に違う部分もある。
ジジェクがキャリアを通じて政治的レベルを重視し、経済的レベルを決定的なものと見なしていな
いといった訳者による解説は、これまでのキャリアを考えればかなり的を射ており、パララックス
を「交換」(経済も含まれる)へと還元した柄谷とその点においてジジェクは対照的だと思う。
とはいえ、この作品で徐々にジジェクはバディウのようなあからさまな政治主義からは離れ、社会
革命寄りに転回しているように思えるのだ(柄谷の影響か?)。
例えば、ラストの『バートルビー』映画化の話題等は消費者からの変革の志向と読める。
そもそも狭義のマルクス主義に対抗するためにヘーゲルを持ち出しているのだからこの転回は意外
であっても必然であったのかも知れない。
とくに第5章のラストにある以下のような盟友バディウに逆らった極めて柄谷的な言葉が印象的
であり、今後のジジェクの転回を期待させるのに充分だ。
「‥…この行きづまりから脱出する唯一の途は、「経済的」領域に<真理>の尊厳を返還すること、
<出来事>の潜勢力を返還することである。」(585頁)
追記:
肝心なところは映画論でごまかしている気もするが、スターウォーズ、エイゼンシュテイン、タル
コフスキー、黒澤明『羅生門』へのコメントは(近年の映画評をかき集めたものであっても)とて
も興味深いし、めずらしく正論ばかりだと思う(ワーズワース、ヘンリー・ジェイムズ、メルビル
らが扱われるが、全体的に文学の影は薄い)。潜勢力を現実界に解き放つ出来事としての力は映画
が突出しているということだろう。
有名な映画ばかり言及されているが、最後の方で触れられたドキュメンタリー『砂の城』(チベッ
ト映画『ザ・ゴール』の監督らがインタビューされ、資本主義から距離をとるべきだというメッセ
ージがあると言う)は日本公開されていないようだ。
http://icarusfilms.com/new2004/san.html