「自由」とは何かを問い始めるときりがない。
科学者の中には、「すべては法則や因果関係に還元されるのであり、そもそも人間には自由など存在しない」という人さえいる。
でも、たとえそうだとしても、僕たちは自由を求めてしまう。
まず、「~~からの自由」。
パピヨンの最初の脱獄の試みは、きっとそうだったに違いない。
「劣悪な監獄からの自由」。つまり、解放。
そこでは、生への凄まじい執着が見られる。
虫を食ってでも生き延び、脱出のチャンスをうかがう。
しかし、過酷な懲罰房で食事を半分に減らされ餓死寸前になっても、彼は友を売ろうとはしなかった。
これはなぜか?
友情?
かもしれない。
しかし、それ以上に彼が守りたかったのは「自分のルールは自分で決める」という尊厳(としかいえないような何か)だったのではないかと、僕は思う。
極限までストイックな、自律への意志である。
そして、それがあったからこそ、パピヨンとドガの間には、絶対の信頼と友情が成立し得たのだ。
ラストシーン。
最後の脱獄は、椰子の実を網に入れた不安定な浮き輪だけを頼りに断崖から飛び込むという無謀な企てだった。
「勝算は?」と問うドガに対して、
"It doesn't matter"(関係ない)
と答えるパピヨン。
これはもう、生への執念すら超えている。
生き延びたいだけなら脱出する必要はないのだ。ドガのように、島で野菜でも作って寿命を全うすればよいのだ。
そうではなく、自分のルールに命を賭ける。どんな外的価値のためでもなく、ひたすら自分のために。
それはもはや「~~からの自由」ではない。
でも、だとしたら、「何への自由」なのか? 「自由」と「人生」は等価値なのか?
何度も見た映画なのに、bs2でやっていたのをついつい最後まで見てしまった。