いま私たちが外国に行くときに当たり前のように携行しているパスポート。これがなければ出国できず、他国に入国もできず、また、自国に再入国することも許されない。本書は、パスポートという掌にのるような小さな書類が、現代人と国家をつなぐ臍の緒であると同時に、目に見えない鎖の象徴でもあるということを伝えている。
近代主権国家が、その国民を“掌握”するためにパスポートという「書類」をどのように発達させてきたか。著者は、マルクスが分析した「資本家による生産手段の独占」、ヴェーバーが論じた「国家による正当な暴力行使の独占」に、国家“系”による「合法的な移動手段の独占」という「第三の収奪」を加えることなしに近代世界を理解することはできないと言う。近代とは、各地の有力者がそれぞれの領民の生活を支配していた時代から、それより上位の国家という権力のもとに国境が規定され、国民が定義される時代に移行する過程であった。その過程で国家が国民の移動を管理に乗り出した理由はおもに以下のようなものだった。
■入国の制限、出国の促進
・犯罪者、危険分子を排除する
・疫病などを排除する
・公的負担となるような人物を排除する
・国内の人口過剰に対処する
■出国の制限、入国の促進
・反逆者が海外の勢力と結託することを阻止する
・兵役につく国民を確保する
・労働力を確保する
・頭脳流出を制御する
19世紀には、人口を国力と直結させて考える重商主義的思想が後退し、人口の流動性を繁栄の条件とする経済的自由主義が拡大した。250年の鎖国から日本が開国したのもこの時期である。ヨーロッパにおいては一時、パスポートの所持義務自体も消滅に向かったが、その後、第一次世界大戦をはさんで、流れは一変、外国人に対する敵意と警戒心から、その移動の管理に国家が神経を尖らせるようになり、一方で自国民の監視も強化されていった。その結果、国民とそうでない者の区別が明瞭になり、国家は鎧のごとき外骨格をまとった「甲殻類(ポランニーの「甲殻類型国家」)の様相を帯びていく。その殻の中における民主化の過程を経て、国家と国民との結びつきが深まった結果、各種社会福祉の受給権や投票権などを享受できる者の適否を区別するためのパスポートや身分証明書が国民生活の「一部」に組み込まれていった。このようにして国家は、合法的な移動手段を独占するに至る。こうした歴史的流れのなかで、どの国家からも国民とされなかった民族は難民となり、ナチスは発達した身分証明装置を駆使してユダヤ人大虐殺を遂行した。
パスポートは所持者の生命を保護する威力をもつ書類である。しかしこの書類を所持しているということは、その発行者である政府によって管理監視されているということでもある。インターネットによって、私たちは国境なきコミュニケーション空間を手に入れたが、災害や戦争、迫害などから逃れるという物理的な移動は、パスポートなしでは不可能とはいわないまでもきわめて困難である。仮にパスポートがあったとしても、個人の出入国を認めるか否かは、その個人の属する国および受け入れ国の政府、つまりは現在の国家システムによって決められるものなのだ。パスポートを持つことさえできない人々の対極にはパスポートを事実上必要としない特権階級が存在するが、彼らも形式上は一国家の国民である。
東日本大震災とその後の原発事故によって移住を余儀なくされる人間、移住を希望する人間の行き場所についても、そこにはまず国家の壁が立ちはだかっていることを思わずにはいられない。故郷や祖国を離れたくないという事情や感情以前に、故郷や祖国を離れては生きていくことがほぼ不可能なまでに、私たちは国家の一部なのである。海外旅行や海外出張で世界中を移動する時代、インターネット上でどんな国の人々ともつながることができる時代においても、その現実は変わっていない。