ページをめくると、いろいろの形をしたパスタやトマトなどの具材、そしてイタリアの人々がパスタをつくっている様子を写した写真が目に飛び込んできた。特に、普段見慣れない多くのパスタを見ると、いかにパスタがイタリアで発展してきたのかがうかがえる。本書は、第1章から第4章までがタイトルの通りパスタを通したイタリアの歴史について古代から近代まで述べられている。特に個人的に面白かったのが、第5章と第6章である。
第5章では、なぜ他の料理ではなく、パスタが女性、とりわけ母親のイメージと結びついた料理とされたのかが検討している。昔からイタリアの農家では花嫁の素養として料理上手であること、特にパスタがうまく作ることが求められたようである(本書、160‐161頁)。加えて、近代の工業化以前では、パスタ作りは男性と同じように従事することができていたのである(162頁)。近代にはいると、男性が工場内で機械を用いてパスタ作りを行なうようになり、女性は主に家庭内でパスタ作りの役割を担っていた(162‐164頁)。
これらのように、パスタは母親の象徴とみなされていったが、著者はこれには「裏」があるのではと考えている。というのは、中世以来カトリック教会による女性蔑視、家庭内での良き従順な妻にして母のイメージが男性のブルジョワによって定着されたことが大きな影響を与えたとしているのである(173‐175頁)。
第6章は、イタリア人に愛されているパスタに敵対者が現れたエピソードが紹介されている。その敵対者は、3つある。1つ目は、アメリカに移民としてやってきたイタリア人は、現地で差別を受け、移民食を否定され、代わりにアメリカの食生活への同化を奨められたこと。2つ目は、戦後ヨーロッパにおいてアメリカへの憧れが増したことで、食べ物・料理にもアメリカ流にしたいと考える人たちが現れてきたこと。最後は、スピードとダイナミズムに憧れ、都市生活、機械文明を礼賛する未来派によって、パスタをイタリアの習俗、モラルの堕落のもとだとして貶めたことである(187‐207頁)。
また、近年食生活の多様化により肉の消費が増えたことや食品加工・保存技術・流通網が発達したことで季節を無視した、欲しいものが食べられるといった食の均一化、そして女性の社会進出が増えて行ったことも見逃せない。というのは、各土地で伝統的にさまざまな行事と結びついて作られてきた珍しいパスタがどんどん消えて行ったり、パスタの「お袋の味」の要素も減少していることが引き起こされているという(204‐209頁)。
このような状況の中でも、イタリア料理は健康には良いということが分かってきており(216‐217頁)、世界各国の伝統的で優れた食を守ろうとする「スローフード運動」がおこっていることも注目すべきである。食の多様化は進み、デメリットの面もあるが、自分たちにとって未知の食に出会える機会や自分たちの伝統料理を世界に向けて発信する機会が増えるというメリットも考えられる。いずれにしても、イタリアの歴史や文化を知るにはうってつけの本である。