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この作品にはいわゆる「ハードボイルド」小説のキモが、きっちりきれいに収まっている、そんな印象を受けます。
一番好きなシーンは、悪いやつらから袋だだきにされて、反吐まみれの「俺」が、ゴミ溜めと紙一重の自分の部屋を掃除して、シャワーを浴びて、クリーニングしたてのスーツを着て飲みに行く部分。
ここを読むと、「人間って、些細な生活の積み重ねで回復できる、結構強いものだな~」と勇気付けられて、スキです。
そう、ハードボイルド小説のキモって、時間軸と視点が、主人公とかっちり合っていることなのです。前後に行ったりきたりしないところ、一歩一歩、時間を積み重ねて傷つき、怒り、真実を知るところに、僕らはきっと、「毎日の退屈な生活も、それほど悪くないじゃないか」と勇気付けられるのでしょう。
どうでもよいことですが、この人の作品を読むと、無性にウィスキーが飲みたくなりますね。僕も、喫茶店でピラフと12オンス・タンブラアに入ったウィスキーを昼間から体に流し込みたくなりました。
これが東直己の等身大主人公なのだなあとつくづく思う。北大中退で、未だに北大関係者にコネがあったりするのも、可笑しいし、いろいろな仕事に手を染めている部分、ススキノを庭にしている!!ところなど、この主人公「俺」には作者の分身的な意味づけが大きい。距離を置いて離したところのミステリーではなく、作者が既に抱え込んでいる世界の側に物語を手繰り寄せたハードボイルドなのだとわかる。
自由にうろつき回るススキノの街が、東直己のこのシリーズへの自由度を表現しているようにも思える。その中できちんとした核になる物語を構築しているかどうか。正直、一作目はその点ではまとまりに欠けているように思えたし、きついかなと危ぶんではいた。だが、二作目以降を読む限り、その不安は杞憂であったことがわかる。きちんとした謎にきちんとした事件があり、そこにはきちんとした人間が存在して、生き様をぶつけあった生々しい悲喜劇が紡がれているとわかってゆく。
ススキノを徘徊する!!楽しさと、風変わりなキャラクターたちへの主人公の目を通した愛情深い視線(「俺」は決して優しくなんか表現しないだけにとりわけそう感じるのだ)、そこにきちんとした物語を解きほぐしてゆく楽しさが加わり、最後にはじーんと肚にこたえる劇的な最終行。巧いのだ。この作品でぼくは東直己の非凡を感じた。この作品でこの作家への安心感を持った。
ススキノの地上げ時代。アメリカ大統領がレーガンの時代。今読むとほんの少し旧くなった過去であるだけなのに、随分分厚い時間の壁の向こうに遥かに去ってしまったことたちであるような気になってくる。それはある意味、作品の中に漂うノスタルジーのような、しっとりとした気配のせいなのかもしれない。このシリーズの一つの強みでありスパイスであるも!だと思う。また、それは小説に、なくてはならない薬味であるのだと思う。
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