「正史の書き換え」を憂慮し「凡庸な一青年が見た凡庸な八〇年年代論」を語る、という趣旨には賛同する。また、堀井憲一郎氏の近著 「若者殺しの時代」と視点の多くが重複しているが、女子大生ブームやとんねるずの意味に言及している点は評価できる。しかし如何せん、各論が整理出来ていない。取り留めもなく話がズレて行き、結局何が言いたいのかがわからない。構成の脆弱さは否めない。それでも最後まで読んでしまうのは、提起されてる幾多の論点に共鳴出来るからだ。ただ、著者自らが「正史の書き換え」に無自覚に手を染めちゃってる部分もある、それこそアイドル論の部分とか(あと、ザ・ボンチはないよザ・ボンチは!編集の方、ちゃんと校正しましょう)。
それにしても堀井氏にしても、著者にしても「ポパイ」を過大評価しすぎである。赤田祐一が評価した初期「ポパイ」ならいざ知らず、85年以降は追従のHotDog PRESSにすっかりヤラれ、逆にHDPを模倣してオリジナリティを無くし、判型変えたりサイクル変えたり迷走してたではないか。どちらかと言えば僕が知りたいのは、自らの好きなものを選ぶ「商品カタログ」ポパイから、女の子にお伺いを立てる「恋愛マニュアル」HDPに、なぜ一時的にでも時代が向いていったか、ということだ。マニュアルとYES-NOチャートで埋め尽くされたHotDog PRESSを熱に浮かされるようにむさぼり読んだ一時期ってのが、少なくとも僕の周辺にはあったのだ。
あと、80年代からバブル挟んで90年代の変化で興味があるのは、“国内DCブランドからインポートブランドへ”って流れと真逆の“洋楽からJ-POPへ”って流れだよね。ファッションと音楽のトレンドの、この見事なまでの逆方向性については、洋楽とファッションに造詣のありそうな著者に、是非一点絞りで論じてもらいたい。