「うれし恥ずかしバブルの日々」って表紙カバー折り返しにある通り、この本のスタンスは基本的にバブルに対して肯定的、好意的である。そこが同じ週刊誌連載でも矢作俊彦の「新ニッポン百景」とは違う。あれは非常に醒めた視線でオーソドックスなジャーナリズムだけど、こっちは主体的で、ある種、懺悔録の趣だ(しかもノリとしては「ひょーきん懺悔室」!)。ほら都築響一もかなりバブルのお先棒担いでいた訳だし(あぁこういう言い方は違うな、ある意味、あの時代に生きていた日本人のすべてが多かれ少なかれバブルに関わっていた訳だ)。もとい、このスタンスは潔いと思う。
「カネは最強の麻薬なのだ。そして麻薬は最後にかならず負けるゲームだ」。そう、わかっちゃいるけど「カネをスるのは快楽である」。そう、人間の根源的なところを著者はわかってるよね。同様に、多くの人々も確信犯的にバブルに踊ってた訳で。だから問題は、バブルは人間の業(ごう)だとして、「夢よもう一度」なのか「おんなじこと繰り返すかよ、おい」なのかってことだよな。そこで、きっと見解が分かれる。この「バブルの肖像」を通読したあとに「うれし」に比重が来るのか「恥ずかし」に来るのか、って言う。いずれにしても、あの時代に生きた人は、この本、主体的に読みましょうね。若人は、きっと僕らが全共闘本読むような、憧憬と反感が入り混じった気持ちで読むんだろうなぁコレ。