裏帯に『人類の誕生以来、最もポピュラーなギャグ=<バナナの皮すべり>』とある。「たかがバナナの皮で随分と大きく出たものだ。」と評者は思ったのだが、この本にはそれだけ大きく出るだけの価値はある。
前半部分はバナナの皮のギャグの使われ方を、現代の日本から始めて香港の映画や西欧の文学と映画、さらにアメリカの映画とアニメへと分野・空間・歴史を越えて広げていく。
『註』が15ページ、『人名作品』が6ページ、『作品名索引』が6ページに渡る本書は、相当な量の文章を引用しており、著者の思いつきと想像力だけで書いたトンデモ本ではない。
最初の章はバナナの皮に限らず“笑いとは”という命題を議論している。正直書くと「昔の偉い人が大真面目に笑いを論じた文章」は、評者にはそれ自体がシュールなギャグに見えて可笑しかった。
バナナの皮のギャクはもう既にお約束となってるため、観客が知っている事を前提としたメタギャグも数多くある。中盤はベタギャグ、メタギャグ、シュールギャグとありとあらゆる形に変形したバナナのギャグの話しである。この多様性は確かに、バナナの皮が他のギャグとは一線を画す、ポピュラーなギャグである事を示している。
また、作家や監督がバナナの皮ギャグに加える、この+αのアイデアが面白い。評者は、ネオ・チンパンジーが乗る宇宙ステーションがバナナの皮でひっくり返るSF小説、が読みたくなった。
また、チャップリンやキートンのバナナの皮ギャグに関する逸話も、笑いにかけるプロの思いが伝わって来る。
黒木氏の文章は徹頭徹尾まじめな体裁をとっている。特に終盤にかけては、実際にバナナの皮で滑る人が多発した19世紀終わりの社会問題や、バナナのポイ捨てを禁止した法律、ポイ捨ての危険性やモラルを議論するなどシリアスな展開をしていく。
それでも評者は、黒木氏が読者を笑わせる意図で膨大な労力を費やしたのではないか?との疑いが拭いされない。