ハンス・ヨアヒム・ロッチェは旧東ドイツ時代に活躍したテノール歌手であり、バッハの演奏家である。ロッチェはおそらく、ケーゲルと同じように世渡りが上手いとはいえない。近年は日本でも演奏活動を行っていたが、それは極めて地味なものであり、極東の小金もちが暇つぶしに集まってバッハでも歌おうかというレベルのアマチュア合唱団を相手にしているものだった。何度かその演奏に接したが、偉大な演奏ではなかった。当然だろう。演ずるのはアマチュアである。
しかし、ロッチェが真に偉大な演奏家であったことを、本ディスクは明かして余りあるものだ。バッハの宗教作品が数多くある中で、その演奏の記録として最も偉大なものと言えるのではないか。
福音史家のペーター・シュライヤー、イエスのテオ・アダムなどオールスターキャストのソリスト、合唱団及びオケはライプツィヒの聖トーマスとゲヴァントハウスである。いずれも掛け値なしのナンバーワンである。
作品は、『マタイ』のようなドイツドラマティックな展開よりは静かな、むしろ地味な『ヨハネ』だけに、歌手、演奏、指揮者の力量がもろにでる。聴き所は色々とあるが、持続する緊張感、そして合唱の彫りの深さ、シュライヤーの上手すぎるほどに上手く、また深い声!!!
最後のコラールの慎み深い調べを迎えるとまた頭から聴きたくなるが、一つだけ挙げておくなら、そのエンディングの前、「憩え、聖なる亡骸よ」である。
「Ruht wohl」と歌われる調べが再現され、それがエコーのように伴奏と同じ旋律を奏でるとき、確かに「これ以上の音楽は無い」と信じられる。
信仰を一切持たない評者も、それだけは信じられるのである。この調べが終わらないで欲しいという祈りとともに、心の底から信じられるのである。