このゴールドベルク変奏曲81年デジタル再録音盤のリリースとグールドの死のどちらが先だったか私の記憶は定かでない。しかし、当時このグールドの「遺作」に接して、アリアで始まりアリアで終わるようゴールドベルク変奏曲それ自体と、同曲でデビューし26年後の同じ曲の再録音で幕を閉じたグールドの生涯の相似に複雑な感慨を覚えた記憶がある。日本映画の巨匠小津安二郎監督が丁度60歳の誕生日に死を迎えたように、時として神様は芸術家の生涯に劇的な幕切れを用意するものである。グールドは本作の録音以降にも録音を残しているが、バッハの大曲ということに関しては本作が遺作であることに間違いない。
そして、本作で展開されるグールドのバッハ演奏の総決算といってもよい、演奏と録音の圧倒的な見事さ。55年録音が38分23秒だったのに対し、この81年録音は51分19秒。冒頭とラストのアリアのゆったりとしたテンポに象徴されるように全体として悠然とした演奏で、55年録音では反復していなかった箇所も一部反復していることがこの時間差となって表れているが、グールドの同曲に対する解釈の見直し・掘り下げに基づくものであり、私は55年録音と81年録音が並存しても構わないと思う。両方とも、キビキビとした躍動感と深い叙情を兼ね備えた稀代の名演でその価値はバッハ演奏史において燦然と輝き続けるだろう。本エディションはデジタル録音であることに加えて、DSDマスタリングとルビジウム・クロック・カッティングによって一音一音の輪郭が鮮明となり、この歴史的名演が今生まれたかのような清冽さで収録されている。旧録音と対比しつつこの81年録音の演奏を丹念に分析した諸井誠氏の解説も読み応えがある。本エディションを廉価で入手できたのは大きな喜びであった。