あまり本の中身と関係ないことに拘りたくはないのだが、この本を書店の棚に平積みされているのを見たとき、黒地に、コルネットを片手で押さえるところを描いた白いイラストと、赤とグレーでBut Beautifulと記されたタイトル文字の配列がとてもシンプルかつ印象的で、著者名とほぼ同じ大きさの文字で並ぶ訳者村上春樹氏の名前が、まるで共著者のような印象を与え、目にするなり思わず手にしてしまった。
村上春樹、ジャズ、翻訳と来れば私の場合、ほぼ間違いなく「買い」だ。
内容は、7人のジャズマンそれぞれの印象的なエピソードを詩的想像力を駆使してフィクションへと加工した作品、というもの。どの作品も何処までが事実で、何処からがフィクションか分からないほど見事にそれぞれのジャズマンならではの特異な世界をリアルに再構築している。たとえ部分的に事実でなくとも、全体として十分に詩的真実として通用するという按配だ。
全体にブルーで暗鬱なトーンが滲んだ作品になっているが、逆に言えばジャズとは元々そういう世界から立ちのぼる黒人のブルース感覚がベースにある音楽であるとも言える。
そして、恐らくほとんどが著者の創作になると思われる会話の場面に於けるセリフが、何よりも光っている。上官の執拗な詰問に晒される無抵抗のレスター、無名のパーカーにその吹奏の仕方を諭す巨匠ベン・ウェブスター、そして極め付きは出所直後のペッパーと行きずりの美女との見事な距離感で交わされる切なくも味のある会話(タイトルでもあり、ジャズの名曲でもある"But Beautiful"というセリフは、この会話の一部だ)。
また、地の部分でも、例えばミンガスの所で「ブルーズとは死んだ人間に向けて、彼らを呼び戻すべく演奏される音楽であり、生者の世界に戻る道筋を教えるための音楽なのだ」「ミンガスのソロは前より重くなった。その演奏は墓掘り人夫のシャベルの動きとなってスイングする。湿った土がずしりと手にこたえる」といったセリフは、適確かつなかなかに味わい深い。
本書で取り上げられたミュージシャンは、7人が7人とも、それぞれ特有の宿阿を抱えて生き、その生き様が彼らの音楽に深い陰影を与えている。どれもそれなりの読みどころがあるのだが、レスター・ヤングとミンガス、アート・ペッパー(訳者は意識的に「ペパー」と綴っていたが)の章が特に印象に残った。
レスターについては、軍隊生活で白人の上官に徹底的に苛められたというエピソードは良く知っていたが、具体的な事実はもちろん知る由もないが、本著でその一端を垣間見ることが出来たような気がする(しかしそれがレスターの音楽とどう関係があるのか、今一掴みかねる所ではあるが)。それに比べると、ミンガスとペッパーの場合は、まさに己が責任でもたらした災厄と言った面が多分にあり、音楽と生き様が不可分のものであるような気が多いにする。レスターの場合は、個人的な生き方がどうのこうの言う以前に、その音楽の到達点があまりに高すぎるのだ。
この本を読みながら、私はアート・ペッパーのレコードを聴きなおしているが、なにかやっとアート・ペッパーの音楽的特質が掴めて来たような気がする。音楽は、本来純粋に音そのものに耳を傾けてその良さを味わうべきものなのであろうが、ジャズの場合はむしろ演奏家の生き様を知ることが、その音楽の理解の助けになるような気がする。それは、ジャズが演奏家の生き様そのものだからではないだろうか?
尚、あとがきが小ジャズ史とも言うべきジャズ論になっており、著者のジャズへの造詣の深さが窺われるとともに、批評家としての質の高さも感じさせられた。訳者の村上氏が言うように、ジャズに関する本で、レコード案内以外では読むに耐える本にめぐり合う事は稀だが、本書はそういう意味でも質が高く、読み応えのある稀有なジャズ本としてお薦めだ(H23.11.3)。