このような普通の人にはできない体験をした人物を扱ったノンフィクションが「読物」としておもしろいのは、ある程度は当たり前のことだと思う。それが、アンダーグランドの世界であればなおさらそうだ。この作品も「実話読物」としては非常におもしろい。
しかし、これをノンフィクションと捉えた場合、大きな不満が残った。不満は二点。
一点目は、主人公の大沢氏のインタビューに頼りきった構成だ。周辺取材が難しい題材であるのはわかるし、大沢氏の発言の裏を取るのが困難であることもわかるのだが、著者がその困難を克服する努力をした形跡はない。というか、そのチャンスを放棄しているかのようだ。
著者が大沢氏の発言に真実性を求める拠り所は、著者と大沢氏と一緒に彼が収監されていたフィリピンのモンテンルパ刑務所を訪れた際の、大沢氏に対する刑務官やプリズン・ギャング達の態度だと思われる。筆者もそこにある程度の真実性を感じる。
このフィリピン訪問の際、著者は刑務所内で大沢氏の庇護者となったプリズン・ギャングの大幹部と面会するのだが、大袈裟に書けば、著者はこの重要人物に挨拶をするために面会したのかというくらい、彼から何も聞きだそうとしていない。
好意的に捉えれば、このフィリピン訪問は、取材ではなく大沢氏のためのものだったのかもしれないが、悪意的に捉えれば、著者は、刑務所の雰囲気、そして大幹部の醸し出す雰囲気に呑みこまれただけとも思える。
二点目は、この作品には「事実(あるいは結果)」は書かれていても、多くの場面で「何故」の部分が書かれていないことだ。それも、重要な事柄について書かれていない。中でも、筆者が最も不満に感じたのは、大沢氏が多くの権力者の庇護を受け最終的にはコマンダーに指名された理由だ。
それまでに書かれたことから推測できないわけではないが、文中ではこの理由がまったく触れられていない。
あとがきを読むと、著者は、大沢氏が刑務所内で多くの権力者から庇護を受けることができた理由のひとつに「カマを掘る(掘られる)」という行為があったのではという疑問を持っていたようであり、大沢氏に対し何回か(婉曲)にそれを尋ねたようであるが、大沢氏に答えを上手くはぐらかされている。
題材としては強烈であり、いくらでも魅力的なノンフィクションとして書き上げることは可能だったはずだが、著者自らの意志でそれを放棄し、単なる「読み物」で終わってしまった感がある。
福田和也氏がこの作品を絶賛するかのような文章を書いているが、福田氏の文章は「文芸の未来は、ここからはじまる」で締められている。筆者の深読み過ぎなのかもしれないが、福田氏はこの作品をノンフィクションとして認めていないのだと思う。
ただ、インパクトはあったので☆×3