この本のタイトルの本当の意味を知らなかったのだが、英訳されたものを読んで、やっと分かった。バカだからあることを理解できないのではなく、学ぼうと思えば学べるのに、自ら学ぶことを拒否し、「壁」を作ってしまっている―それがこのタイトルの意味である。
常識とつまらない知識の集合とは違うと著者は言う。大部分の人は後者を常識と勘違いしている。大部分の常識は「ある人から見た」事実にすぎない。我々はこのことをよく心にとどめておく必要がある。科学もまた絶対的な事実ではない。たとえば、素粒子物理学には科学的な限界があることがすでに明らかになっている。科学を支える数学にさえ、限界がある。私たちはこれをどう解釈すべきなのだろうか。 我々は事実のほんの一部しか知らない―まずここからスタートしなくてはならないだろう。そうしなければ、私たちは学ぶことを拒否し、どんどん「バカ」になっていってしまう。
著者は、生まれつき人はそれぞれ違っているのだから、個性を育てる必要はなく、むしろ他人を理解させる教育が必要なのだと言う。しかし、そうではない。今まで受験中心の詰めこみ教育をしてきて、果たしてどれだけの人間が個性を伸ばせただろうか。今までの日本の教育は、三流を二流にしたかもしれない。しかし、たとえてみれば、イチローや野茂のフォームを無理やり矯正し、一流を二流にもしてきたのだ。そういう意味で、個性を重視する教育は絶対必要だろう。
養老孟司の著書は初めて読んだが、納得できない部分も多かった。しかし、いろいろな問題について深く考えるきっかけにはなる。考えるヒントとして読んでみてもいいかもしれない。