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バイオリニストは肩が凝る―鶴我裕子のN響日記
 
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バイオリニストは肩が凝る―鶴我裕子のN響日記 [単行本]

鶴我 裕子
5つ星のうち 4.8  レビューをすべて見る (8件のカスタマーレビュー)

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商品の説明

出版社/著者からの内容紹介

 著者の鶴我裕子さんはNHK交響楽団の第1ヴァイオリン奏者を長年つとめ、かたわら音楽雑誌や音楽会のパンフレットなどにエッセイを寄稿されてきました。
 本書はN響の楽団員、また一生活人としての日常を綴ったものですが、その軽妙な文章には楽員としての長い演奏経験からくる音楽への深い理解がおのずと滲み出ています。
「なるほど、オーケストラの舞台裏はこんなふうだったのか」「サヴァリッシュやゲルギエフはこんなふうに音楽をつくっていくのか」などなど、音楽の現場の「そこが知りたい」ことが手にとるように語られているので、音楽ファンには恰好の読み物となっていますが、そればかりでなく、生活人としての日常をユーモラスに語る語り口には人物や社会へのたくまざる批評眼がのぞいており、一般の読者にも十分に楽しんでいただけるエッセイ集となっています。

内容(「MARC」データベースより)

バイオリン界の「中村紘子」か、オーケストラ界の「向田邦子」か!? 演奏家の日常はこんなにもおかしくて、こんなにも愛らしい! NHK交響楽団第1ヴァイオリン奏者のエッセイ。『音楽現代』『フィルハーモニー』等掲載。

出版社からのコメント

「鶴我サンに本を書かせる会」元会長の檀ふみさんからこんな跋文をいただいています。

バイオリン界の「中村紘子」か、オーケストラ界の「向田邦子」か!? 演奏家の日常はこんなにもおかしくて、こんなにも愛しい! 今日からは、「この本を100万人に読んでもらう会」の会長になろう。
「鶴我サンに本を書かせる会」元会長 檀 ふみ

著者について

東京芸術大学器楽科卒業、1975年にNHK交響楽団入団。現在、同団第1ヴァイオリン奏者。
演奏活動のほかに音楽雑誌の連載や音楽会パンフレット等への作文業も展開中。
共著に『200クラシック用語事典』『200CDヴァイオリン』(共に学習研究社)などがある。

抜粋

大澤先生のサイフォン・コーヒーとホロニョヴァ先生のうなぎ

 バイオリンを始めたのは10歳で、遅いけれど、そのおかげで嫌いになったことがない。私の育った山形は、「まんず、バヨリンなんて、どんな食べものだべ」と言うくらいなもので、先生なぞいるはずはないのだが、いたのだ(尊敬語を使わず、すみません)。
 その大澤秀雄先生は、親の反対をものともせず、ほとんど情熱だけでバイオリンを身につけ、ときどき上京しては、当時、来日していたアールさんにレッスンしてもらったりしていた。先生は、すごく怒りっぽかったが、私を愛してくださり、レッスンは、レッスンというより合宿に近かった。お宅へ行くとまず、最新版のグリュミオーのレコードを聴かせてくれる。自分が今弾いている曲のこともあったが、あまり格が違うと、とらえどころがなかった。先生は目を細めて、「この歌い方だよ、どうしてこう上品なんだろう」と、聴きほれていた。私のほうは、早くいやなレッスンを終えて遊びたかった。あの時代、あの田舎なのに、先生は常に、「りきまないこと」を強調した。完璧に弾いてみせることこそできなかったが、大事なポイント(リラックス、音色が命だということ、歌うこと)はすべて、ちゃんとふまえてあったのだ。レッスンが終わると、ひきたての豆で、目の前でサイフォン・コーヒーの儀式が始まる。あのころのあの山形で、ですよ。ほんとうのリッチとは何か、ということを、リッチマンではなかった大澤先生に私は教わったのだ。先生ありがとう。
 その後、東京での高校・大学時代、ピアノ科の友人たちのレッスンの話には、まったくたまげた。昨日の恐怖のさめやらぬ月曜日、涙をうかべて話してくれる。「弾いているとき、いきなりフタを閉められた」「イスからつきとばされて床にころがった」「置物が飛んできた」。そのうえ降りそそぐ怒声、罵詈雑言……。高いお金を払って、いじめられに行くとは、ヨット・スクールに似ている。昔の先生は、どうしてああ怒りっぽかったのだろう。あれでは、演奏と恐怖が、同時に脳にインプットされてしまうではないか。それに、お金を払って教えてもらいに行ったトタン「バカヤロー、帰れ」では、ドロボーです。弾けないから教わりに行くのです。

 さて、大学を卒業して、当時チェコから芸大に招かれていたマリエ・ホロニョヴァ先生のところへ行った。英語がスラスラ出てこないから、初めから紙に言わなければいけないことを書いておいて、それを読んでいると、先生はパッと取り上げて読んで「ワハハ」と笑い、「私と一緒に勉強したいのね」と言ったのだ。「教えてやる」とは言わなかったのだ。なかに入ると、上級生たちが数人、ダイニング・ルームでお茶を飲んでいた。レッスンに来ているのではなく、先生のうちで遊んでいるのだ! 
 レッスンは、始まると2時間続き、すべてのテクニック上の問題は、力学的に解明されてなんの疑問もなくなり、あとは自分がそれを練習して身につければよいだけだった。音楽性については、完全に本人の能力にまかせられた。払ったレッスン料の、10倍も得たと思ったものだ。家に帰ってさらうことが山ほどあるので、次のレッスンは1カ月後でちょうどよかった。つまり、とても安いということになる。
 あるとき、レッスンが終わると、「うなぎ好きか」と聞かれた。うなずくと、先生は電話を取って大声で「ホロニョヴァ・ウナジュー・ふたつ・いま」と言って切った。なるほどねえ。うなぎはおいしくて、私は幸福だった。先生は、オイストラフの恋人だったんだもんね。きれいな、かわいい、かしこい、わがままな先生。それからすぐ、チェコの動乱になり、先生は帰国した。私はまだ、メソッドの一部しか教わっていなかったが、格段の進歩をしたので、中断はつらかった。先生について行った石川静さんは、今や大バイオリニストである。モトも違いますが。
 9年前のN響のヨーロッパ旅行でプラハに行き、先生に会えた。おばあちゃんになったけどやっぱりきれいで、ちょっとさびしそうだった。先生のアパートでおしゃべりして、昼寝して、レッスンもしてもらった。N響の演奏を聴いて「すばらしいオーケストラだ。あなたがここで弾いているのが、私はうれしい」と言ってくれた。チェコは、今どうなったかしら。先生は困っていないだろうか。
 そろそろ自分が子供に教えて、恩返しをする番なのだが、いっこうに興味がなくて困っている。まだまだ自分が「教わりたい」のだもの。

マエストロに花束を

 定期公演に客演した指揮者には、その最後の演奏のあと、オーケストラからステージでバラの花束が贈られることになっている。花束を取りに退場しやすい場所に座っていることもあって、私がそのお役目をおおせつかることが多いのだが、あんな簡単そうなことが、意外にやさしくないので驚く。第一、長いドレスを引きずって人に見られながらステージを歩くのは、気おくれがするものだ。それに、ガイジンと握手するのは、むずかしい。始めのころは、まるで、誰かが前髪をつかんで引っぱっているのじゃないかと思うほど、どうしてもおじぎをしてしまうので困ってしまった。
 一昨年だったか、まだこのお役目に慣れないころ、サヴァリッシュ大先生に差し上げたときのことである。その日のラスト・ナンバー『新世界』の、ものすごいピアニッシモにちぢみ上がった気分が、まだ抜けきれないまま、ぎごちなく近づいて花束を差し出すと、意気揚々と指揮台をおりて来たマエストロは、ガッキとこちらの手を握りしめ、メガネの奥の小さい目(小さいのです)で、まばたきもせずにこちらの瞳孔を見据えたまま、いつまでも、いつまでも放してくれない。まあ、その時間の長かったこと。ついに私は気合負けして、ほほえもうとしたのだが、口の端がヒクヒクッとけいれんして、半泣きのような顔になってしまった。握手が、こんなに疲れるものだったとは! その日は帰る道々、「チクショウメ、チクショウメ、合気道を習ってやるから見てろ」などとつぶやき続けたものだ。で、2年後の今年の春は、負けるものかとホゾを固めて、いきなり両手で力いっぱい握りしめてみた。先に力を入れられると握り返せないもので、まずは五分五分のニラミ合いとなり、その晩、私は満足して祝盃をあげたのでした。
 それから忘れられないのが、テオドール・グシュルバウアーで、このマエストロは人柄がよく、練習中も気前よくほめてくれるのはいいが、要領はよくなくてどうも手間取る。そこでひそかに「テマドール・グズルバウアーだ」などと言って喜んでいたのだが、花束を渡しても、まだ用ありげなのでハテナ、と思っていると、ワッとばかりに顔が近づいてきて頬にチュッとやられた。あ、そうだったのか、映画でよく見るあれだな、などと思っていると、まだ終わらず、こんどは反対側にもチュッ。ハァ、なるほど、と思ううちに手の甲にもチュッ。これでようやく儀式は終わったが、まあそのあとみんなにひやかされたこと。やっぱり、テマドールだったのだ。
 泣いたマエストロもある。昨年の『第九』を振ったコシュラー氏で、3楽章あたりから目のふちが赤くなり始め、4楽章が盛大に終わって割れるような拍手につつまれると、もう涙が頬を伝うのであった。最終日に梅澤美保子さんが花束を渡すと、感極まったように彼女を抱きしめ、泣きながら引っ込んで行った。あの曲に何か想い出でもあるのか、それとも「人類はみな兄弟」という歌が、チェコの人には実感をもって感じられるのか、見ているほうもジンとした。
 ほかにも、いかめしい顔で、心底うれしそうに笑ってくれたコンドラシン(ご冥福を祈ります)、陽気なワルベルク、オペラチックなチェッカート、そして、「花より酒がいい」と言った、私の理想の男性ホルスト・シュタイン。どのマエストロもみな、すばらしく個性的であった。
 ひるがえってこの私の、なんとメリハリのないことよ。せめて花束を渡しながら、何か言えればいいのに。「すばらしかったです」とでも、「次回を楽しみにしています」でも。また場合によっては「シェーン、ネバー・カムバック」とでも、さらりと言いたいと思うのだが、バカみたいにニヤニヤするだけで終わってしまう。楽員のなかには、留学や就職で外国生活の経験のある方も多く、ときどきちょっとしたアドバイスをいただいたりする。それらに共通していることは、「女性がイニシアチブをとる」ことと、「態度を大きくする」ということである。これは日本女性の美徳とは正反対のことなので、私はふだんの自分とは別に、ガイジン用の自分を作り上げるような気分になる。西洋音楽に対しては、なんの違和感もないのに、なぜこんなに習慣が違うのか。
 来年はヨーロッパ公演がある。そのときには、むこうの人たちと、「ふつうに」接したいと思うのだが、どうも、ヘトヘトに気疲れしそうな予感がするのです。

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