体内に埋め込まれた医療分子が個々人の健康状態を常にモニターし、病気をいち早く発見してくれる社会。酒やタバコといった健康被害に結びつく物質も既に排され、人々は健全で長命でいる世界を実現した。そうした社会システムに悪影響を及ぼす恐れがないかどうかを監視するWHOの生命監察機関に勤める霧慧トァンは、少女時代に幼なじみ二人と共に自殺未遂を起こした過去がある。
あれから13年、ともに生き残った友人キアンが目の前で自殺を遂げる。あのとき一人逝ったミァハの影がちらつき始めたトァンは、医療経済の中心都市となったバグダッドへ向かうのだが…。
誰もが健康で天寿を全うできる社会。その夢の世界が実現した21世紀半ばに、その社会に矢を放つ組織の存在が見え隠れするという物語です。
読者の眼前に広がるのは誰もがハーモニーを保って生きるユートピアなのか、それとも自殺する自由と意志が抑圧されたディストピアなのか。頁を繰るにつけ、眼前の世界に対して自分の判断が大きく振幅するのが手に取れるのです。
オルダス・ハックスリーの「
すばらしい新世界 (講談社文庫 は 20-1)」でも、知的で“進化”した文明人と、“野蛮人”とが対極に置かれたディストピアの世界が展開していましたが、あの小説を読むと“野蛮人”に心寄せる自分が見えてきたものです。まさにあの、理屈では処理しきれない不思議な感覚がこの「ハーモニー」によって私の中に引き起こされたのでした。
書き下ろしであるというこの作品の最終頁に「私の困難な時にあって支えてくれた両親、叔父母に。」という作者の謝辞が置かれています。
新聞報道で知ったところによれば、作者は今年(2009年)3月に肺がんで亡くなるまで病室のベッドでこの作品を書いていたとのこと。享年34歳という若さの彼が、病気が消滅して天寿を全うできる社会を独特の否定的な視点で描いたということを思って、心震える思いがしました。