本書90頁にはハンス・ベルメールの略歴があり、72歳で亡くなるまでの創作活動と恋と苦悩の足跡が記されています。瀧口修造はベルメールの別れについて「最愛の妻と二度死別し、一度は女の双生児とともに生別する。その間、精神的に深く結ばれた女の詩人ノラ・ミトラニも夭折する。」という事実をあげ、ノラ・ミトラニによる未完のベルメール論の冒頭を紹介しています。「真珠がもはや真珠でなくなり、いつも変らぬ愛の初液のように、赤い湖になるとき…(略)愛の、死のような重さ。エロティックな再現が、眩暈と涙を喚起しないとしたら、それは軽蔑すべきものだ。」
ベルメールが表現したグロテスクな作品は深い悲しみから生まれた叫びの代償に他なりません。人形が有名なベルメールですが、私は男性器と女性器を一体化したモチーフの作品群や女性器のみをクローズアップしデフォルメした作品群にベルメールの寂しさを感じます。そこには別れへの恐怖や愛する者への執着が感じられます。
「私は女衒の目でダイナモを眺め、エディソンの目でピアズリーの絵を眺める。またダンテの言葉で自転車を語り、うるさがたの門番の口振りで雲を語る」これはベルメールの言葉です。他人のスタイルで自由奔放に世界を解釈するベルメールのように感じられますが、愛する者を失い、心の拠り所を喪失したベルメールが苦しさの中で発した言葉でもあると思います。