この映画は、良くも悪くもロブ・ゾンビの映画なんだろう。
オリジナルのファンの目には何から何まで違うものに見えるはず。
カーペンターの「ハロウィン」は、人間の世界で便宜的に、あるいは法律的に必要で、マイケル・マイヤーズという名前を付けられた「シェイプ(ブギーマン)」が意味もなく殺人を重ねていく映画である。「シェイプ」は「純粋な悪」で、超自然的な存在であり、不死である。だから、殺す相手を見つけても、ドクター・ルーミスに銃を向けられても走ることはない。その必要がない。殺人を犯す理由も分からない。ドクター・ルーミスや保安官らが推測するだけで、本当の理由は分からない。
対して、ロブ・ゾンビの「ハロウィン」はマイケル・マイヤーズという反社会的人格障害の連続殺人犯の映画である。いかにしてマイケルの人格障害が醸成されたかが延々と説明され、登場人物は一人の例外もなく、老いも若きも、男も女も、朝から晩まで性的なことばかり考え、性的な表現を事あるごとに用いる。ローリー・ストロードまでが義母に対して普通に使っている。それがアメリカの現実だというなら、そうなのかもしれないが。
このマイケル・マイヤーズはあくまで人間であって、しかも銃を使えない(使い方が分からない)から、必然的に大男でなければならない。何しろ相手かまわず白兵戦を挑むのであるから、肉体的に圧倒的に優位に立っていなければ、ストーリーが成立しない。
それから、「シェイプ」はローリーを殺すためにハドンフィールドに戻るが、このマイケルはローリーに会うためにハドンフィールドに戻る。残念ながらローリーの方がそれを受け入れなかった。
「絶叫クィーン」ということについても勘違いしているような気がしてならない。ラストにただただ金切り声を延々と上げ続ければいいってもんじゃないと思う。肺活量には敬意を表するが、声量と持続時間でクィーンが決まるわけでもあるまい。
やっぱり、オリジナルファンにとっては、「シェイプ」は「シェイプ」であって欲しい。仮面の下の表情など分からない方がいい。仮面の下の表情が見えるようじゃあ、何のために無を表す白い仮面をかぶっているのか分からない。まったく理解不能な「純粋な悪」が執拗に、かつゆったりと迫ってくることが恐怖の源泉なのだ。図体のでかいのが刃物を持って迫ってくるなら、大勢で集中砲火を浴びせれば済むことだ。
というわけで、あくまでロブ・ゾンビのファンのための映画。オリジナルのファンにはお勧めできない。