自分は男性ですが,
むかし彼女の家に置いてあったのをふと手に取って,
あっという間に全巻読破してしまいました。
本書はその表面的な印象とは裏腹に,
日本の正統かつ伝統的な少女漫画だと思います。
それを最終巻のカヨコの最後のセリフを読んだときに確信しました。
以下ネタバレありです。
カヨコは,「ハッピー」マニアというより,
「トキメキ」マニアなのだと思う。
本当に幸せになりたいと思っていたらあんな行動パターンになるはずがない(笑)
カヨコは性的に奔放であるが,
その相手となるのはたくさんの女性と付き合っている陶芸家や,
自称小説家のダメ男など,
どう考えても付き合って「ハッピー」になれそうにない男ばっかりである。
それはカヨコが「ハッピー」を求めているのではなく,
陶芸家のクールで何を考えているかわからない雰囲気や,
自称小説家の文士的な雰囲気に「トキメイ」ているからなのである。
そう考えると,
柱の陰からあこがれの彼を見て,
決して越えられない一線の向こうから,
その男性にではなく恋そのものに「トキメイ」ている伝統的少女漫画の女の子と,
性的な一線は超えるものの,生身の男性の現実と直面することなく,
「トキメキ」に恋しているカヨコとは,
実はその本質において一緒なのだということがわかる。
カヨコは,実は「少女」なのである。
現代の日本において,
もはや受け身で奥ゆかしい少女漫画的少女は時代的に求められていない。
だからこそこの漫画ではそういう女の子は徹底的に辛辣に描かれているが
(例えばタカハシに恋する養蜂の女の子),
しかしそれと同質の「少女性」はカヨコの奥底に根深く残っており,
だからこそカヨコは,近親憎悪的にこれらの女の子を憎むのだ。
その点でタカハシの存在は興味深い。
彼はカヨコにトキメキを与えない。
しかし東大出で現実的な将来性があり,
さらにカヨコのことを心から想っている。
(この漫画の中では比較的)タカハシは現実を象徴しているのである。
カヨコがタカハシという現実(トキメカない平凡な幸せ)を取るのか,
トキメキを取るのか
逡巡のうちに漫画は終わる。
カヨコはその後どうなったのか,
10年後のカヨコを描いた続編を読みたいものだ。