先ず2006年に著述されたことに驚いた。
しかし、その当時に私が読んだとしても、軽く受け流していたかも知れない。
著者が提示した第4の波は着実に進んでおり、先進国の人間にとってその問題はより切実なものとなった。
版が重ねられているのも納得できる。
著者が提示するコンセプト時代の人物像は独創性を備えたリーダーであり非常にレベルが高い。個人的にはスティーブジョブスを思い浮かべた。
また著者がこの結論を得るまでにどの様な考えを重ねていったのか想像するのはとても刺激になる。
以下はこの本の批評ではなく私がこの本を自分の中に取りこむ過程で考えた内容です。
豊かさが個人の生きる目的とロマンを失わせ、利己的な欲望を充足させる事のみを追求させる。
世界でコスト格差以外の教育レベル、情報、インフラ等の格差が無くなりつつある。
著者が指摘する先進国特有の問題に加え、日本ならではの問題についても考えるべきだろう。
日本独特の共同体と階級が重なり曖昧に入り混じった構造は内包する全ての共同体を統率するリーダーの存在を成り立たせない。
日本人の殆どの個人の行動の基準は自分の哲学(宗教も含む)では無く属する共同体のルールであり共同体と個人の境界線が曖昧である。
これらの社会と個人の特徴を考えると他の先進国に比べ外部の変化に容易に対応出来ないと思われる。
日本人とは特殊な環境を維持し自らを特殊化して成長した民族だと私は考える。
それは私たちに豊かさと平等、安心を与えてくれたが、強い前提条件を必要とする閉塞的な社会とも言える。
グローバル化には最も適していない社会とも言え、他の先進国の人間が修正の範囲でコンセプトの時代の利点を享受出来るようになるとすれば日本人はより深い180°に近い自己変革が必要と考えられる。
しかしコンセプトの時代は、戦後の世界の前提条件が崩れ世界の人々に平等かつ公平に与えられたチャンスの時代でもあり、人間の本来の能力への原点回帰とも言うべきものである。
そこには大きなロマンがあるのではないか?
コンセプトの時代の先には何があるのか?を考えるのも面白い。
世界の共同体化が進むのか?資源と人口のバランスが崩れサバイバルの時代が始まるのか?
個人も共同体も自らの存在価値を作らないと世界という共同体にその存在を拒否されるかも知れない。
先ずは自分を地球人と名乗り始めるのも面白いのではないだろうか?などと思った。