日本語で書かれたものとしてはハイドンの作品全体を俯瞰できる唯一の本という意味で貴重だが、多数のCDで膨大なハイドンの音楽を聴けるようになった現在では、内容的には古さと物足りなさが目立つ。まず選曲。この分量で収めなければならない制約があるのは理解できるが、ミサ曲が後期の六大ミサしか収録されていないのはひどい。聖チェチリア・ミサや大小オルガン・ミサ、ニコライ・ミサは決して晩年に劣らない名曲ばかりだ。しかも後期ミサ曲にしても、「解説」とは名ばかりで、各部分の主題の譜面を並べるだけというひどい手抜き。ミサばかりではなく声楽曲についてはほとんど「解説」の体をなしていない。弦楽四重奏曲にしても、作品64は6曲全部収録しているのに、作品50と54,55からは「蛙」と「剃刀」しか取っていないのも、解説者の鑑識眼を疑わせる。交響曲も「校長先生」や「ラ・ロクスラーヌ」を入れるぐらいなら、13番とか52番とか54番とか67番とか、入れるべき名曲は他にたくさんあるはずだ。解説の内容にも執筆者によってむらがあり、しかもその多くは楽式をただ先入見に従って機械的になぞっているだけで、ハイドンの魅力をまったく語っていない。再現部が巧みに作り直されている部分など、平気で「型通りに再現」と書いて済ませている。ハイドンを愛する愛好家には実に物足りない内容だ。ディヴェルティメントが入っていないのもおかしいし、歌劇も「月の世界」はともかくとして「薬剤師」や「報いられたまこと」を入れるくらいなら「オルランド・パラディーノ」や「哲学者の魂」を入れるべきだろう。日本語でランドンの「ハイドン・クロニクル」やマルク・ヴィニャルの「ハイドン」のような書物は書かれることはないのだろうか。