この映画、邦題の「ノーカントリー」と原題の「ノーカントリー・オールドマン」では意味が違ってくる。
確かに「ノーカントリー」の方が語呂がいいけど、タイトルが重要な意味を持つこの映画については
変えるべきではなかった。
とか言いつつ、俺が最初に見たときの印象は「意味が分からん。訴え掛ける何かがあるはずの映画
なんだが…」というものでした。
レビューという事ならひとことで片付けることも出来る。
「無慈悲な映画でした」おしまい。
だがしかし、これがボンクラ監督の撮った映画ならそのまま捨て置くんですが、コーエン兄弟が
撮ったからには必ず何らかの意図、もしくは意味があるはずなので、3回見て、気になったシーンや
台詞をノートに書き留め、自分なりに考察してみました。
それぞれの考察を書くと非常に長くなってしまう上、レビューではなくなってしまうので
この映画の肝というか、訴えたかったことが何なのか書きたいと思う。
この映画、主な主人公は3人です。お河童頭のシガーくん、火事場泥棒のモスくん、そして影も薄いが
頭も薄いベル保安官。
ストーリーの肝はシガーとモスの追いつ追われつの逃亡劇であり、討つか討たれるかのハラハラな展開が
展開される訳ですが、本当の主人公は原題のとおりベル保安官です。
この映画は彼の語りから始まり、彼が見た夢の話で幕を閉じる。
彼は冒頭、現代の犯罪は理解が出来ないとぼやいている。保安官は命を掛ける仕事だが異常な犯罪には
関わりたくない。しかし魂を危険に晒す場合、それを「OK」しなければならない、と。
映画を見た多くの人が「ん?」と思ったシーンがあるはず。ベル保安官がモスが殺されたモーテルに行くシーン。
ベルがモーテル部屋のドアの前に立つ。シガーはドアの側に潜んでいる。ベルは躊躇しつつ、ドアを開ける。
だがシガーはいない。
部屋の中に逃げ場はないので、シガーは別の部屋に潜んでいたとも考えられるが、鍵穴は例のアレで壊されて
いるので、シガーはその部屋にいたはず。なのに、なぜシガーはいなかったのか。
これはあくまで俺の推測ですが、おそらくベルはドアの前までは立った。が、恐ろしくなり引き返してしまったのでは
なかろうか。つまりドアを開けて部屋に入るシーンはベルの妄想。
次のシーンでベルは下半身不随になった叔父の元へ足を運び「保安官を辞職」することを伝える。
辞職する理由を問われ、「自分では力不足」であるとしながら「俺が神でも俺を見放す」と自分を見下している。
モスを救えなかった自責の念とも思えるが、それだけなら自分をそこまで責めないだろう。ベルは「正義の象徴」である自分が
魂を危険に晒す場面で「OK」出来なかったことに絶望したのではなかろうか。
そして叔父はベルの祖父「マック」の話をする。
マックは7〜8人に囲まれ自宅の玄関で撃たれた。マックは自分が肺を撃たれ死ぬのは分かっていた。男たちも去った。
だがマックは散弾銃を掴み死ぬまでそれを離さなかった。ここでベルは叔父に聞く。「祖父が死んだのはいつだ?」
「確か1909年ー」「違う、すぐ死んだのかそれとも翌日か」「その日の夜だよ」
自分はじきに死ぬ、相手は去った。報復も出来ない。それでも散弾銃は離さない。
祖父の姿は「正義の象徴」そのものではないか。
そしてラストシーン。ベルは保安官を辞職し、妻との会話の中で夢の話をする。
夢に出てきたのは父親と自分。
一つ目の夢は「父親からお金をもらい、それを無くしてしまう」というもの。
二つ目は「父と自分が馬に乗り、険しい雪道を走っている。父は自分を追い越し、見えなくなってしまった。
父は手に松明を持っていた。そして、火を燈らせながら私の到着を待っているのだろう」
ここでエンドロール。
ベルの夢を解釈するならば、父は祖父から保安官としての魂を受け継いでいた、しかし自分はそれを失った。
父はそんな私に失望していることだろう。だがそれでも父は私の保安官としての魂を信じているのではないか。
二つ目の夢はベルの死を暗示しているようにも思える。
ラストシーンのベルの表情、これは何とも言えない。平穏な生活を手に入れ、安堵しているようにも見えるし
何かを決意したようにも見える。
俺はおそらく後者だと思う。そうであって欲しいという気持ちもある。世界は無慈悲で理不尽なものであるけど、
それは自分だけが背負っているものではない。実際、無慈悲で理不尽な象徴であるシガーが信号無視をした
車に突っ込まれて、大怪我をしている。
モスに至っては、あれだけの逃亡劇を繰り広げながら最後は銃殺のシーンさえなく、しかもシガーではなくメキシコの
ギャングにあっけなく殺される。
「つまり、世界とはそういうものだ。誰にでも不幸が訪れる可能性のある世界。「正義」の定義でさえ曖昧で人が生きていくには
辛過ぎる世界なんだよ、分かったかね」
監督はそう言いたかったのかも知れない、が
多分それだけじゃない。なぜならこの絶望的で無慈悲な映画は1980年の設定だ。それから25年以上、世界は変わらずに動いている。
「それでも人は生きていけるんだな」
絶望の中にほんのささやかな光が見える映画。3回見た俺の感想でした。