「
クラウド化する世界」でおなじみニコラス・G・カーによる一冊。ネットでの情報収集が、我々の脳にもたらす変化について、さまざまな視点から警鐘を鳴らしている。実はこの本、自分には文体が読みづらく、読了までに若干時間を要した。読んで読んでも文字面ばかりを追ってしまい、意味がなかなか頭に入ってこなかったのだ。そこに追い討ちをかけるように「なぜ、あなたが本を読めなくなっているのか」という内容が覆いかぶさり、非常に説得力のある(?)実体験であった。
◆本書において著者が鳴らしている警鐘
・長期的に見ればわれわれの思考や行動に影響を与えるのは、メディアの内容よりもむしろメディア自体である。
・ニーチェはタイプライターを使うようになってから、文体に変化があらわれた。その指摘に対するニーチェの回答「そのとおりです。執筆の道具はわれわれの思考に参加するのです。」
・与える刺激がつねに小さい、というまさにそのことが、読書を知的な報酬を与えるものとしているのだ。作動記憶から長期記憶へと情報を移し替え、スキーマ(複雑な概念)として組み上げる能力によって、知性の深さは決定する。認知的負荷が大きくなれば新しい情報をスキーマに翻訳できなくなり、理解は浅いものになる。
・非直線的な読み方、ブラウジングやスキャニング、スキミング等、マルチタスクに使われる神経回路が拡張したり強化されたりすれば、持続的集中をともなう深い読みや深い思考に使われる回路は、弱まったり侵食されたりする。
・われわれは「複雑な作業に最初から最後まで集中する」能力を失うかもしれないが、その埋め合わせとして新しいスキルを、たとえば「六種類のメディア上で同時に34個の会話を交わす」能力を手に入れるだろう。狂乱を、魂のなかへと迎え入れようとしているのだ。
考えてみれば、思い当たる節は多々ある。携帯を使用するようになってから、知人の電話番号は一つも思い出すことができないし、ノートとペンを前に文章を書くことは一切できなくなっているし、携帯の電波状況が悪く3時間以上Twitterにアクセスできないと、陸に打ち上げられた魚にでもなったかのような息苦しさをおぼえる。我が身を振り返っても、背筋がゾクっとするような警鐘の数々である。
古くはソクラテスの時代から情報伝達の変革を振り返り、また多くの実験結果の裏打ちによってもたらされた数々の理論は説得力があり、ネット上で目にするテキストとは迫力が違う。しかし、この本の一番恐ろしいところは、警鐘を鳴らしたまま、解決策を提示せずに終わってしまうところにもある。
本書内にて結論は提示されていないが、ネット上のコンテンツを摂取する情報処理と、本を読む読書を、分けて考えれば良いのだと思う。バランスが悪くなっていれば、是正すれば良いだけのこと。しかも、我々は情報処理の道をひたすら邁進すること、読書の世界に引き戻ること、どちらを選択することもできる。それが、革命の最中に生きる者のみが享受できる最大の特典でもある。
息苦しく感じた時には、全てのデジタル機器をオフにし、ひたすら読書に励むひと時を過ごすのも良いかもしれない。また、情報処理への姿勢は変えず、それを質で凌駕するような読書に励むことも解決策になるかもしれない。ただし、その場合の読書は、行動する読書でなくてはならないと思う。全く知らない領域の本に手を出して、新しい文脈を自分に形成するための読書。読んだ本を自分のスキーマに組み替えることを身体で感じながらの読書。本と本の関連付けを考えながら行う読書。方法はさまざまである。「本は読んでも、読まれるな!」なのである。