素晴らしい。
この列島の上に、「日本人」として暮らしているボクたちが、「日本」という国にではなく、もう一度母なる「日本列島」とつながるために、この一冊がとても重要なガイド役を担ってくれるだろう。
『 しかしこのような「縄文」「弥生」の比較で、これまで決定的に触れられることがなかったもの、それが「それぞれの時代を形づくっている生き方の違い」だった。そして今まさに、ぼく流に言わせてもらうなら弥生時代を貫いている ー 今日よりも明日がもっとも良くならなくてはならないとする ー ジグザグを描いて大地から離れていく文明的な ー もっぱら自然から奪うだけの ー 我欲に支配された価値観が、大きく揺らぎ、崩れかけている今、生態学的な母なる地球の死を前にして問われているものもまた、その生き方の問題である。チェロキーのメディスンマンだったローリング・サンダーの口癖のひとつに「アメリカ・インディアンとは血の問題ではなく生き方の問題である」というものがあったが、これもまた同じことを告げようとしている。「縄文」と「弥生」の違いもまた、本質的には人々の生き方、自然にたいする接し方の違いなのである。「スピリットの帰還ーまえがきにかえて」』
『 声を大きくして言わせてもらうのなら、そして何度も繰り返すようだが、弥生時代はすでに終わってしまっているのではなく、その後、飛鳥・奈良・平安・鎌倉・室町・戦国・江戸・明治・大正・昭和・平成と千数百年間名前をかえながら今この瞬間にまでつながっている。われわれは弥生時代の延長線上(最後?)を生きている。「ネイティブ・ジャパニーズを捜して」』
『 日本列島に生きる人たちが、時が大いなる円環を描いて万物が再生し自然と共存する世界を外れ、一万年かもしくはそれ以上続いた長い夢見の時間(ドリーム・タイム)を離れて、現在に通じる時の直線がジグザグを描いて続く、限定された危うい生き方を選択するのは、この国の歴史が文字で書かれはじめたときあたりからだから、かれこれもう千年近く前のことになる。人は文字で書かれたものを読むようになったかわりに、それまでのように自然を本のように読み、そこから生きるために必要なことを学ぶことを忘れていった。自然の法という共通に守るものがなくなったあとは、スピリチュアルな力と同時に平和も失われて、人と人が殺しあい、国と国が戦争をしあう、いつ果てるともない争いともめ事が続くようになった。そしてそれが行き着くところで、人は誰も自然の声に耳を傾けなくなり、自然の法のことなどに関心を抱かなくなってバランスを失ってしまう。「スピリットの帰還ーまえがきにかえて」』
北山さんの「ネイティブ・タイム―先住民の目で見た母なる島々の歴史」に代表される、母なる日本列島を先住民族の目からさかさまに捉え直す一連の仕事は、とても刺激的で、とても貴重だ。多くの人にとっては、きっと驚きの連続かもしれない。けれど、きっと、それが真実なのだ。
この独自な視点による、歴史の読み直し作業が、どれほど貴重で尊いものか、すぐにわかる時がくるだろう。