一時、こんだけケータイやメール(いわゆるユビキタスって奴?)が発達したら文学やドラマは成り立たなくなるんじゃないか、なんて懸念がどこからともなく発せられた時期がある。そりゃ「君の名は」みたいな予定調和的なすれ違いは、ケータイがあればまず起きないけれど(っていうか禁じ手?)、あらたなディテール、シチュエーションは生まれてくる訳で、そこらへんを掬い取っていくことも、やっぱ文学の役どころではないか。
「キミの携帯はもう止まっていた。だからメールを打った。〜返事は二十分後に返って来た。さすがオタクだ。起きている間ずっとパソコンに貼り付いているのだ」。
こういう日常を当たり前に書き写しているのがいいな、と思う。表題になってる「ニート」の解釈も、「TVタックル」とか「ニュース23」といったメディアがニュースや社会事象を大げさに商品に仕立てて消費するようなアプローチでは勿論ない。
「キミは自分がどんな無駄な生活をしているかよくわかっているし、でも、強い気持ちで、何もしたくないのだ。何もしたくない健康な人間の居場所、と考えると私は頭が痛くなる」。
えらくもないし、ダメなことは確かだろうけど、しょうがない面もあるよねぇ、私もそうだった時期あるし...
「ニート」を断定しないように、これまで通り著者は「恋愛」とか「関係」とかをとおりいっぺんに定義しない。「私」とニートの「キミ」の関係も、だらだらとした弛緩と一定の節度が交錯して新鮮である。そして、その「関係」が微妙に変化していくさまも。「私」と「キミ」に、「私のルームメート」が第三者として介在する続編「2+1」も面白かった。
短編集最後の「愛なんかいらねー」は、この著者の、また別な一面を見た感じで、次作を読む期待が膨らんだ。