書評にまつわるエッセイ集。議論の展開が雑駁で,何が言いたいのかハッキリしない。
一口に書評といっても,その対象がフィクションかノンフィクションかで,書き方・読み方に違いがありそうである。だがこれに対する著者の態度が不明確。本書全体を通覧すると,「文芸」書評がテーマなのかと思えるが,第4講,第5講および第12講は,明らかにノンフィクションの書評も含めた議論だ。煎餅を食べていたらその中にクッキーが混じっていた,くらいの気持ち悪さである。
あるいは著者は,対象がフィクションだろうが何だろうが,書評であることに本質的な違いは無いという考えなのか。では書評の本質とは何か? 著者は「批評と書評はまったくの別物」(p.13)であり,その違いはネタバレの有無にあるという。つまり,ネタバレが許されるのが批評で,許されないのが書評というわけだ(p.52)。
しかし,この識別基準はフィクションを念頭においた区別ではないか。巻末の大澤聡との対談で,大澤はネタバレの問題が「文芸領域の話」(p.223)であると述べており,これに対して著者は異を唱えていない。
本書では「書評/感想文」の区別にも触れている(pp.108-114)。著者によれば,出来の良いものが「書評」で,悪いのが「感想文」である。したがって,読者が本の感想(面白かったとか,つまらなかったとか)を,自身のブログやAmazonのレビュー欄に掲載・投稿した場合,それは著者からみれば,出来の悪い書評=感想文として,非難罵倒の対象となるかも知れないわけだ。
しかもこのような「書評」が匿名でなされた場合には,卑怯者とまで呼ばれてしまう可能性がある。
「不思議でならないのですが,匿名のブログやAmazonのカスタマーレビュー欄で,なぜ他人様が一生懸命書いた作品をけなす必要があるのでしょうか。卑怯ですよ。他人を批判する時は自分の本当の顔,どころか腹の中の中まで見せるべきでありましょう。都合が悪くなれば証拠を消すことのできる,匿名ブログという守られた場所から,世間に名前を出して商売をしている公人に対して放たれる批判は,単なる誹謗中傷です。批判でも批評でもありません」(p.115)
ここでは「作者への批判/作品への批判」の区別が曖昧にされている。作品を批判することは,ひっきょう作者(=世間に名前を出している公人)を批判することと同義であり,そうである以上批判者も名前を出さなければ「卑怯」だ,というふうに読める。
だとすれば,(褒めた場合は別として)匿名での書評はおよそ許されないことになりそうだ。しかし,著者は直後にこう述べる。
「精読と正しい理解の上で書かれた批判は,この限りではありません。というのも,そういう誠実な批判の書き手の文章は,たとえ匿名であっても "届く" ものになっているからです。届く文章は、前段で挙げた劣悪な批判がまとう単なる悪口垂れ流しムードから逃れ,批評として成立しうるものです」(同)
匿名でけなすのは卑怯,ただし真っ当な批判であればこの限りではない,というこのくだりは,読み解くのが難しい。
(1)ひとつの読み方は, "匿名での批判は卑怯だが,内容がしっかりしていれば批評(書評)としては成立する" というもの。つまり,書評の「書き手に対する評価/書評それ自体に対する評価」を区別したうえで,書き手・書評の双方を別個に評価するわけだ。しかし,(a)何故書き手自体を批判する必要があるのか(書評の良し悪しを評価すれば十分ではないのか)。(b)小説については「作者批判/作品批判」の区別を曖昧にしているのに,書評に対しては「書き手批判/書評批判」の区別をつけるのは何故か。
(2)もうひとつは, "匿名でいい加減に書かれた批判は単なる誹謗中傷で卑怯な振る舞い。匿名でも作品を理解して書かれた批判は立派な批評" という読み方である。多くの人はこのように読むだろう。だがこれだと,(c)いずれにせよ「自分の本当の顔」を見せていないにもかかわらず,何故前者は卑怯で後者はそうでなくなるのか,(d)書評の是非を決めるのは結局のところ中身の良し悪しであって,書き手が匿名か否かにさしたる意味は無いことになるのではないか。
どちらの読み方を採るにせよ,著者のこの言い分は,以下の場面で最大の威力を発揮する。それは,プロの書評家が出来の悪い書評を公表してしまったときである。この場合,「プロなら『読めないヤツ』という致命的な大恥をかきます」(p.115)。―しかし少なくとも,プロのわたしは匿名で書き散らす卑怯者よりかはマシな人間だ。プロなら内容で勝負すべき? 知るか。
文中に示されるこれらの見解が,ちょっと首肯しがたいものであること自体は,大した問題ではない。むしろオリジナリティを認めて良いだろう。問題は,これらを支える根拠が分かりにくいうえに,不十分であることだ。自分の言いたいことすら満足に伝えられない人間が,他人の作品の良し悪しを,読者に伝達できるものなのだろうか。