ロシア正教への関心から明治の宣教師ニコライの資料を探索中、皇太子ニコライ、のちのニコライ二世の関連書籍に出会った。ネットで検索すればこその奇遇である(前者のほうが32歳年長ながら両者は同時代人であり、本書にも前者が登場してくるのは嬉しい)。それらのなかで真っ先に本書を選ぶのに躊躇しなかったのは、かつて吉村昭の作品を貪るように読み、ほぼ全作品を読了しているからだ。最後に『闇を裂く道』を読んだのは6年前に遡るのだが。
吉村氏の資料収集と取材への情熱、揺るぎない文体はどの作でも一貫しており、読む者に与える安心感と信頼感は、他の凡百の歴史小説家の追随を許さない。氏の淡々たる叙述がどうして息をもつかせないのか、訝らずにはおれないほどだ。
近代史を齧った者には周知のニコライ皇太子襲撃事件、1891年の「大津事件」であるが、なぜ一介の巡査が大罪を試みるに到ったかは謎に満ちており、誰が書いてもそれなりにおもしろい小説に仕上がる可能性を秘めている。しかし、吉村氏の真骨頂は別のところにあろう。この事件に凝縮した「日清戦争前の日本とロシアとの関係、日本人のロシアに対する感情」(あとがき)を通奏低音としているのがその一つ。艦隊を率いたロシア側の示威と日本側の懐柔が、ニコライ訪日のそもそもの裏事情であればこそ、事件後の政界中央の懊悩は想像に余りある。日清・日露の戦役を経るまでの「小国」日本の、あがきと焦慮がここに炙り出されている。ニコライ一行の行状についても、吉村氏ならではの興味深い細部を味読することができよう。
しかし、著者は最後の三分の一のスペースを割いて、さらなる「サスペンス」(としか呼びようのないもの)を用意している。早起き鳥が囀り始めるまで、最後の一頁まで本書を伏せることができなかった理由もまたそこにあるのだが、明治国家日本の真相の一つに迫れるその詳細はサスペンスとして書くのを控えておこう。