本書には初出「ナンバープラス」の文章「"ナノ・フットボール"の誕生」が収められており、それがそのまま第3章のタイトルになっている。
「トップレベルの試合は、小さなスペースを最大限に利用できるストライカーが勝敗の鍵を握ることになるだろう。それを"ナノ・フットボール"と呼んだらいいかもしれない」「ナノ・フットボールがブラジルにワールドカップをもたらした」てなあたりがその文章の趣旨なわけですが、このくだりをもって書名となるほど大きな主題かと。
少なくとも著者はこの主題だけを書きたくて本書を著したわけではないはずだ。
W杯のサッカーは世界のサッカーの先端を行くんだから、その総括本の書名も〈先端的〉であるべきだ、という予定調和的?発想ミエミエである。
むしろ本書において著者は、我々日本人が期待しがちな〈予定調和的W杯像〉には無頓着に、自らの見解、解釈をストレートに綴っている。特定のセクターにオモネルことなく、現実を直視し、痛烈な皮肉と洒脱さでW杯を切り取っている。
そのスタンスが、「ワールドカップが夢のごとく消えると、あとには何も残らなかった」「ワールドカップがこの地(日本のこと)の何かを変えたとは思わない」という今大会の総括に結びつくのである。
僕にとってこの切り口は新鮮かつ我が意を得たり的なのであるが、編集サイドとしてはどうだったのだろう。
書名も帯のコピーも、内容を適切に示すことよりも、勝手に想定した読者の期待値に予定調和的に摺り寄ることを優先したとしか思えない。
それともナンですか?書名と帯コピーで読者を釣っておいて、肩すかしを食わせる〈非予定調和〉を狙ったワケでしょうか?