著者は「正史」に挑戦する姿勢を明らかにしている。p143
しかし、中国、北朝鮮、韓国に公定の「正史」はあっても日本には無いし、あってはならない。
「正史」を問題にするなら、むしろこれらの国の「正史」を問題にしなければならない。
また「河野談話」の「正史化」を許してはならない。
「東京裁判史観」パラダイムの「再審」もしなければならない。
不公正極まりない東京裁判でさえ、盧溝橋事件や真珠湾攻撃について有罪者は出せなかった。
ニュールンベルグ裁判においても「侵略の罪」を問うことに失敗した(と聞く)。
そこで持ち出されたのがホロコーストであり、「南京大虐殺」である。後者では「止めなかった」として
不作為の罪で松井石根が有罪とされた(A級ではなく、B・c級戦犯として)。
この本で取り上げられている元慰安婦達は日本軍のサイドにあって共に苦労した協力者であった。という側面もある。
慰安所経営者、女衒(その多くは朝鮮人)、彼女等を売ったかもしれない親も対日協力者である。
韓国の歴史観にあっては対日自発的協力はあってはならない存在である。それ故、創氏改名も「強制された」ということにしなければならない。日本軍に「志願」した者も「強制された」と強弁する。
隠しておかなければならない存在なのだ。隠しようがなくなると「強制された」ということにしなければならない。
もし、慰安婦が「強制された」ものでなければ、彼女達はただの売春婦ではなく、もっと忌まわしい対日協力者ということになる。韓国は「戦勝国」として自国を位置づけようとしている。
上野千鶴子が批判しようとしている「正史」、しかもインチキな「正史」である。
このため韓国の政治家が「強制性」を認めてくれ、と頼み込んできて出来たのが河野談話である。
韓国で調べても証拠がないからこそ日本に頼み込んできたのだ。当時の石原官房副長官が裏話を明かしている。
この談話のポイントは「全ての慰安婦」について強制性を認めたことである。
全ての慰安婦に共通する強制は慰安所規則による外出制限、性病検査などでしかない。
しかしそのような事を「加害だ」として訴えている元慰安婦はいない。
外出制限や性病検査が加害ならば、寄宿舎の外出制限や法定伝染病についての強制措置も加害になる。
マチマチな元慰安婦が訴えていることは個別な加害・被害である。それについて国の責任を問うには
個別の加害者の特定をしなければならない。国の使用者責任を問うには被使用者の特定なしにはできない。
それを抜きにして元慰安婦の「被害」と国、軍の政策を直接結びつけようとしたところに、論理の
ほころびができる。
事例をいくら集めても、帰納法では「全ての慰安婦」についての全称命題は導きだせない。
せいぜい仮説形成ができるだけである。
しかし、この本で著者は自己の立論について都合の悪いケース、考え方を多く挙げている。
その意味で星3っつ。
ところで、極貧の状況にあっては売春もサバイバルの手立ての一つである。
「売るもの」がある少女は生き延びてもそれがない少年は餓死してしまう。
豊かな社会にあってさえ「援助交際」という売春もある。
男性からみると買春・買春というのは男の性欲の弱みにつけ込んだ暴利行為と言う側面
があるように思える。
アメリカの禁酒法時代にマフィアがはびこった様に、売春を非合法化することでかえって
暴利とマフィアをはびこらせることになっている事に著者は気づいていないのだろうか?
結婚制度が売・買春と類似する「取引」であるということにも。