1962年録音のドヴォルザーク作曲交響曲第9番「新世界から」、この演奏(当時はLPレコードだった)が、私を魅了し、バーンスタイン派にした。当時、私は中学2年生でした。吹奏学部でTromboneを吹いていました(今も、アマチュア・オーケストラで現役です。)この演奏を選んだのは、特別な理由があってのことではありませんでした。ただ、ドヴォルザークは当時のチェコスロヴァキアの作曲家で、アメリカで活躍した、そしてこの曲もアメリカで書かれたという事実から、店頭に何枚もあったレコードから、これを選んだ。それだけのことでした。それ以前から、いくつかのオケもののレコードや吹奏楽を聴いてはいましたが、指揮者とオケを選ぶという意識はありませんでした。(因みに、当時は、東京佼成ウィンド・オーケストラが、日本の吹奏楽界では「神」のように崇められていましたが、私は、この楽団の演奏が好きではありませんでした。後に、ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団やイーストマン・ウィンド・アンサンブルの演奏を聴いて、こういう演奏を上手い演奏というのだ、と確信しました。)この演奏の瑞々しく、エネルギッシュで、表現の豊かな点に感動し、これ以後、筆者はレコードを買うときに、「指揮者とオーケストラ」を選ぶようになったのです。当時、まだスコアも読めないのに「ポケットスコア」まで買い込んで、それを見ながらレコードを聴いたものでした。私がこのレコードを購入してすぐ後に、姉がカラヤン指揮ベルリン・フィルの同曲のレコードを買ってきました。聴かせてもらったのですが、カラヤンが偉大な指揮者だとも、ベルリン・フィルが上手いとも思いませんでした。それほど、この演奏との出会いは、カルチャー・ショックだったのです。バーンスタインは、微妙にテンポを揺らしながら、豊かな表現で聴き手に迫ってくるような音楽を奏でる指揮者だと思ったのを覚えています。
その思いは今でも変わっていません。望郷(懐郷)を思わせる冒頭部から、アメリカの大都市(おそらくニューヨーク)の喧騒を思わせる激しい音楽に変わり、また穏やかな音楽に戻り、また、視点がアメリカに戻り・・・を繰り返して、第1楽章が終わる。第2楽章は有名は「家路」のもとになったもの。これもチェコスロヴァキアへの望郷を暗示しているのでしょう。当初は、インディアンの音楽をもとにして書かれたと考えられていましたが、今ではドヴォルザークのオリジナルの音楽であるという共通認識が成立しています。第3楽章は、故郷の民族舞踊の音楽をモチーフにしているらしい。でも、私には、この曲は機関車の走行音(特にレールのつなぎ目を通過する際の音)をモチーフにしているように聞こえます。第4楽章の冒頭部を、ドヴォルザークが無類の機関車好きだったらしいことから、「汽車が発車する音をオケで再現したもの」を解釈する指揮者は多いですが、私には第3楽章全体が汽車の走行音を再現して、音楽として展開しているように聞こえます。(ドヴォルザークは家のそばの操車場の周りを毎日散歩しては、「今日は何型の汽車が止まっていた」というメモを付けていたとか。自分の体調が悪い日は弟子に、その日、何型の汽車が止まっていたかを見に行かせたらしい。)第4楽章の冒頭部、「汽車が発車する音をオケで再現したもの」、それに代表されるアメリカの大都市の喧騒から始まり、また祖国の描写が入り、を繰り返して、最後は、アメリカにいる自分にとって「如何に祖国が地理的に遠いか」を思わせるように、ホルンの和音でフェイド・アウトして終わる。その部分が、「アメリカ」を表しているのか、「チェコスロヴァキア」を表しているのかを想像しながら聴いてみると、この曲の、新しい面白さがみえてくると思います。バーンスタインはロシア系ユダヤ人の移民の息子だったので、アメリカで活動しつつ、ロシアやイスラエルに思いをよせ、その思いを、ドヴォルザークの音楽に具現化したのかもしれない。彼の音楽は、スコアの読み方が極めて主観的だが常に強い説得力があるのは、彼の人間としての経験が豊かであり(当然、多くは精神世界での潜在経験でもあろうが)、彼の、その経験の豊かさ(=高い知性に裏付けられた、人としての懐の深さ)が様々な作曲家への共感を可能にしたのでしょう。録音は古いですが、音質にはほとんど問題はありません(SONYの録音技術の高さに感心します)。それに、ニューヨーク・フィルの高度な演奏技術も特筆ものです。交響曲第9番「新世界から」の1つのレパートリーとしてもっていて絶対に損のないCDです。