内容(「BOOK」データベースより)
1956年~59年という、あの時期にハイチ国境地域になぜ、移住を進めたのか…。ドミニカ移住の基本問題。
内容(「MARC」データベースより)
半砂漠・石と塩の土地に棄民、詐欺だった18haの土地分譲…。不毛の地に移住者を放置して半世紀。「外務省=日本国家」の大罪を告発する。ドミニカ移住の基本問題に最後の命を振り絞った小林忠太郎の遺言状。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
小林 忠太郎
1930年信州(長野県)野尻湖畔―旧信濃尻村に生まれる。県立農学校卒業後、代用教員、村役場書記補等。のち、日本大学・同大学院(畜産学、農業経済学)、東京教育大学農学部(総合農学・菱沼達也教授)、東京大学農学部(農政学・近藤康男教授)に学ぶ。1957年日本大学助手、62年専任講師(牧野論、畜産経済学、畜産立地論等担当)。日本大学教職員組合結成に、右翼的暴力に屈せずに参加し、農学部支部委員長となり、学生の人権闘争に共闘。「学生扇動」を理由に1969年暮れに懲戒免職となり、反処分法廷闘争18年を経て東京高裁の和解勧告により「休戦」、日本大学を「任意退職」。その間、反大学講座「農業原論」を開講、農民の文化研究所を創設し、代表となり今日に至る。また、横浜市市ヶ尾に共生共育大学共学舎を再建し、理事・学長に選任される。1972年以来衆議院議員秘書、政策担当秘書国家資格取得、日本社会党衆議院秘書団副委員長等歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
1930年信州(長野県)野尻湖畔―旧信濃尻村に生まれる。県立農学校卒業後、代用教員、村役場書記補等。のち、日本大学・同大学院(畜産学、農業経済学)、東京教育大学農学部(総合農学・菱沼達也教授)、東京大学農学部(農政学・近藤康男教授)に学ぶ。1957年日本大学助手、62年専任講師(牧野論、畜産経済学、畜産立地論等担当)。日本大学教職員組合結成に、右翼的暴力に屈せずに参加し、農学部支部委員長となり、学生の人権闘争に共闘。「学生扇動」を理由に1969年暮れに懲戒免職となり、反処分法廷闘争18年を経て東京高裁の和解勧告により「休戦」、日本大学を「任意退職」。その間、反大学講座「農業原論」を開講、農民の文化研究所を創設し、代表となり今日に至る。また、横浜市市ヶ尾に共生共育大学共学舎を再建し、理事・学長に選任される。1972年以来衆議院議員秘書、政策担当秘書国家資格取得、日本社会党衆議院秘書団副委員長等歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)