青柳さんがいかにパワフルで多彩な人だということを書くことはしない。彼女のホームページをご覧いただけば済む。
とりあえず、私はこの本について書くことにしたい。この本の萌芽というべき「エッセイ」がユリイカのドビュッシー特集に出た。私はそのみょうちくりんな文体に、なにか心騒ぐものを感じた。それはいいとか悪いとかの価値判断ではなかった。ただ生理的には少し苦手かなというような疑似少女的文章で、これは文章の達人となった現在の青柳さんの本にも時々見え隠れする(難しいものを別の形にしようという試みだったのかな)。それは不思議にも彼女の祖父であるらしいフランス文学者の青柳瑞穂の翻訳に、常に私が感じている「感じ」と何か似ていて、私の範疇ではないけれど、決して不快でも嫌いでもない、うまく説明できないものなのである。
ともあれ、そのユリイカの文章は、なにかはかなげでノンシャランスな文体ながら、当時、まだ日本の普通の音楽愛好家が知っているドビュッシー像とは異なる情報が、実に濃い密度で詰まっていた。
私は彼女のドビュッシー演奏を手放しで好きだとはいえないし(言い方を変えれば手を離さなければ熱烈に好きな演奏もあるということである)、著作もとくに女性論には突っ込みを入れたいところもあるのだが、あの時点でああいう文章を書き、そしてその後ゆっくりと熟成するようにこの本を完成させていったことには素直に感動するしかない。
この本は、ドビュッシーっておフランス風の印象派、エレガントで口当たりのいい、甘くて弱めのカクテルか、おしゃれな感性のアブナクない人だなんて信じている人にはいささかきつい本だが(しかし遺憾ながら、演奏会の解説や雑誌の特集では、そういうステロタイプがほとんどなのである)、この本の洗礼も(一応)ぜひ受けておくべきだし、青柳さんも今までのそういうドビュッシー像を破壊するために、わざと悪人になっていてくださっているるところもある。
とにかく、楽しい本ではある。私はこういう本を敢えて出版してくださった青柳さんに感謝したい。ただ人によっては好悪の情でこの本が気に入らない人もいるであろうことをお断りしておく。
さてこの本についてのみ書くとことわったにもかかわらず、楽譜や演奏は、いまだにほとんどステロタイプのドビュッシーばかり。研究者だけが新しく出版された楽譜を買ったり研究したりすればいいというものではないはず。たとえ、ドビュッシーを甘く切ない作曲家だと思いたいにしても、それと逆の部分を知ることは、たぶん回り道や迷い道にはならない、と思う。