『ところが、この穏和で、罪のない、ゆったりとした生活の流れが、一転、
血と号泣のただなかに叩きこまれて、だれもがひとしなみの狂気と兇暴に
とりつかれたように、時々刻々、休む間もない殺戮がくり返され、
それが法にかなった行為、讃美の対象になってしまったの。』
『そのとき、ロシヤの大地にいつわりがやってきたんだわ。
いちばんの不幸、未来の悪の根元になったのは、個人の意見というものの
価値を信じなくなってしまったことね。
…いまは…一律に押しつけられる借りものの考え方で生きていかなくちゃいけない、
なんていう思い込みがひろまった。…』
この作品はロシア革命の黎明期からその内乱や第一次世界大戦を経た
ロシアがまさに全土あげて動乱にあった時代が舞台。
自分を押し殺しての迎合が賢い生き方となり、
自己表現が他人からの疎外はおろか、死に直結していた
こんな閉塞状況で、ただ一人でも、自分の心情を理解する人が現れたら…。
ジバゴはラーラに出会い、人生とは詩のようなものであるべきで、
詩には迎合や自己否定なんか必要なく、
(自分の意のままにならない運命の翻弄や、禁じられた愛への傾倒はあっても)
まさに詩のように表現力をもって生きるべき、との考えを貫こうとした。
そのジバゴ(=作者)の詩に対する一貫性が、読者の心をつかみ離さない。
一方、ラーラの感情の激しさやその悲しみが深いほど、
寡黙で冷静なジバゴの心に写り、炎が燃え上がるように
パステルナークの筆が走るところは、圧巻である。
時代の熱さとは違った、二人の心の熱さがページからわき上がるようである。