基本的な前提として、著者はジャーナリストではない。ドキュメンタリー作家だ。両者の違いは本書を読めばわかる。
著者の他の本でもそうなのだが、著者は本書で繰り返し「主観」で語ることの重要性を訴えている。僕らが、知らず知らずのうちに「客観」でものを語るとき、重要な何かが抜け落ちてしまうのだ。
僕自身は、「客観」は自分の意見を言いたくない(もしくは意見がない)ときのエクスキューズなんだと思う。つまり、「客観」とは「皆がそう言ってるから」「一般的にそういうことになっているから」だから「正しい」といっているのと同じことなんだ。そして、いつしか「自分の意見」を見失ってしまう。
でも、「皆」とか「一般」って誰のことなんだろう?
「不特定多数」なんて言葉があるが、そんなものに埋没してはいけない。僕は(あるいはあなたは)常に「特定の個人」だ。
本書はそんなことを僕に考えさせた。
その特定の個人の意見が、主観の表現であるドキュメンタリーに反映されるのは当たり前のこと。でも、メディアの中には、そんなことにすら無自覚な人が多いという。
重要なのは、何か結論を出すことじゃない。「YES」と「NO」の間で葛藤すること。わからないことに「わからない」と言うことなのだ。