舞台となる病院の名は「エル・ボスケ」。スペイン語で「森」です。そしてそこには美しき眠り姫が二人。うち一人は見知らぬ「王子」の「キス」を受ける。そう、これは「眠れる森の美女」の暗喩なのです。
見知らぬ他人からの「キス」は、ペロー原作のお伽噺やチャイコフスキーのバレエの中では「白馬に乗った王子様の愛」として語られますが、この映画では「ストーカーによる昏睡女性への性的虐待」となります。この映画を観た人の相当数が「男の一方的な思い込みに嫌悪感を抱いた」と言います。
おそらくその感想ははずれていません。「ストーカー野郎」ベニグノの許されざる行為はだからこそ物語の中で相応の償いを求められます。
王子様ならばセクハラで訴えられることもなく理不尽なことに「めでたしめでたし」で幕を閉じますが、ベニグノは小太りで、長年献身的に母親を介護してきたという地味な青年であるために美男の王子のような特権は与えられません。実際は王子であっても姫の許可なくいきなり唇を奪うことなど許されないはずですが、そのことに思いを馳せることなく私たちはこの物語を観てしまうおそれがあります。
アルモドーバルは「献身的な愛」を描くような監督ではありません。彼の描く人々は孤独なあまり他者との触れ合いを求め続け、相手との関係をうまく切り結べないために一線を越えてしまうことが常です。自堕落で放蕩、そして無責任な登場人物たち。その姿は強く非難されるものである一方、果たして観る者すべてが石もて打つことができるかというとそうでもないという人々ばかりです。もし「眠れる森の美女」(ディズニー映画は物語が改変してあるので除外します)の王子の行為を良しとする気持ちがわずかでもあるのならば、この映画を一刀両断するのは拙速かもしれません。私にはこの映画は「王子などいないことに気づけ」と私たちに訴えかける極めてまっとうな作品に思えてならないのです。