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決して、「文学的な」難しい言葉や表現を並べ立てているわけではない。分かりやすい言葉や文体の中に、情景や著者の思いが鮮やかに浮き上がってくる。惜しまずに時間を掛けて言葉を選び、付け足し、削除し、何度も練り直したであろうことが窺える。
イタリアのトリエステという町に立った著者の胸に、それまでに出会った様々な人々が、その時々の思い出が蘇り、感情が湧き起こる。様々な時代に生きた人々の肖像を、著者の目を通じ、フィルターを通じて丹念に描き出していく。語られる一つの情景が決め細やかなひとつの風景として胸に浮かんだ次の瞬間、次の情景の語りが始まる。一見何の関わりもなさそうな、異質とも思えるような新しい風景が、読み手の胸の中に広がっていく。章の一番最後に、この、一見異質に感じられる情景達が、あるテーマで結ばれていることが明かされるのである。美術館の高い天井までの大きな壁一面を占領している一幅の絵に対して、1メートルとない至近距離で立ち、その絵のディテールが、時代背景から、舞台の場所,風景、人物のプロフィールや性格,人間関係、彼らの表情や動作までが細やかに物語られていく。重要なディテールがすべて出そろったところで、はじめて5メートル下がってその絵の全体を見せられる。そんな文章である。
自分が愛情を注ぐ対象を、その愛情と同じ大きさ、同じ重さで表現できる、
そんな人に僕もなりたい。そう思った一冊です。
だが、このエッセイ集の中のイタリアは、そのイメージを見事に覆すものである。しかも、貧しさ・死の影・斜陽の街といったマイナスイメージが根底に流れている。だが、決して暗さは感じない。かといって明るさもない。須賀敦子の文章の中では、セピア色の人々の暮らし、街の様子が、ただ淡々と流れている。
それだけなのに、激しく心を打たれるのはなぜだろうか。
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