今でいえばあの英語日本語を混合するルー大柴の元祖とでも言えばいいのだろうか。
トニーズイングリッシュ(トニングリッシュとも言う)「レイディースエンジェントルメン、アンド
おとっつぁんおっかさん」など独特の喋りと一種異様な毒をもち爆発的人気を博した芸人トニー谷。
私たちの世代が知っているトニー谷は、テレビ番組「アベック歌合戦」(1966年〜よみうりテレビ製作)くらい
からだろう。(この番組でのトニー谷はもはや往時のスタイルの自己模倣にすぎなかった。)オールバックに独特の
吊り上がったフォックスメガネにチョビ髭がトレードマーク。スマートな背広姿で、そろばんや拍子木をチャカチャカ
やりながら「あなたのお名前なんていうの?」と軽やかに腰をフリフリする司会者姿である。「おそ松くん」の「しぇー、○○ざんす」のイヤミのモデルともなった芸人だ。
しかし、そのトニー谷が司会業、ボードヴィル、映画と全盛を極めたのは、1950年から55年までである。
「さいざんす」「おこんばんわ」「家庭の事情」など今でも記憶に残る多くの流行語を残した。しかも、この人の
経歴というのが本人も多くのことを語っておらず、彼について書かれた資料も意外に少ないことから、ほとんど
知られていない。
著者の村松友視は、祖父の村松梢風が昔の芸人たちといっしょに写ったアルバムを見ながら口走った
「トニー谷の舞台には品があるよ…」という謎の言葉をキーワードに、その資料の少ない「トニー谷とは
何者だったのか?」を探し出す旅にでる。
最後にトニー谷と共演した永六輔、トニーがよく司会をしていたジャズ・ドラマー、ジョージ川口、
日劇ミュージックホールのヌード・ダンサー、メリー松原などとかつてのトニー谷を知る人物たちと会って
話を聞き出し、過去の小さな雑誌記事などから綿密に検証しながら、村松流「トニー谷」像をつくりあげていく
過程は軽妙かつスリリング。
著者も、途中からトニー谷の得意としていた「ざんす」で文章の最後を締めくくるようになったりするのも、
だんだんと乗って書けていった証拠だろう。
これまで、トニー谷に言及した本は小林信彦の「日本の喜劇人」などあったにはあったが、ここまで徹底的に
「トニー谷の謎」に迫った本はこれまでかつてないザンス。