出版社/著者からの内容紹介
内容(「MARC」データベースより)
出版社からのコメント
中米は日本人にはなじみのうすい地域ですが、ぜひ多くの人に読んでいただき、考えてほしい1冊です。
抜粋
その時、ぼくは、二十歳だった。一九八五年七月の夜、ある町でのこと。
学生下宿の窓に向かって、男が一人立っていた。その男は小石を拾い、ブロック塀の向こうの一階の部屋の窓に軽く投げつけていた。ついこの間、ぼくがしていたのと同じように。しかも、同じ部屋の窓に向かって。
急に事態が飲み込めた。
下宿からサンダルをはいた彼女が現れ、その男の胸に飛び込んで、泣き始めた。二人は、ぼくのことに気づいていなかった。
早く立ち去らなければとわかってはいた。けれども、頭の中で、本当に、「ガーン、ガーン」と大きな響きが聞こえてきた。地面もねじ曲がり傾き始めた。耳の奥の三半規管がどうにかしてしまい、一歩も動けなかった。なんとか頭を振り空を見上げると、半月が天上に出ていた。半月の少し弱い光が、ぼくら三人を照らしていた。
彼女とはいろいろありながらも、中学の時から付き合っていた。
梅雨の真っ最中の二十歳になった誕生日、彼女から何の連絡もなかった。こちらから電話しても留守だった。嫌な予感がしていた六月末に、手紙が届いた。「もう付き合うのをやめたい」という意味のことが書いてあった。
“直接会ってキチンと話をすればなんとかなる”という希望的予測ははずれ、彼女はまともに会ってもくれなかった。
彼女にしてみたらイヤなものはイヤなわけで、その理由など、いちいち直接本人に向かって説明などできるはずもない。十六年も過ぎた今は、そう思うことができる。しかし、当時のぼくにそんなことがわかるはずがない。二週続けて週末になるとその町へやって来て、原付バイクで走り回った。手紙が届いてから、七月のこの夜まで三週間足らずの間、ぼくは、“ストーカー”に限りなく近い状態になってしまっていた。この日も、電話に出ない彼女となんとか話をしようと、下宿まで、やって来たのだった。
何分くらいたったのだろう。二人が気付いて、ぼくの方へ振り向いた。
しばらく沈黙が続いた。
「なにか用か」その男が口を開いた。その一言は、自制心を消し飛ばした。
“アスファルトで、大根のようにすりおろしてくれる”
すると彼女が
「やめて、やめて、この人になにもしないで」
と、叫んでその男を背にぼくの前に立ちふさがった。ぼくの爆発寸前の怒りは、一気に萎えてしまった。
安っぽいテレビドラマによくありがちな光景だ。まさか、現実にこんな場面に出くわすなんて思いもしなかった。しかも、ぼくにしつこい“ストーカー”役がまわってくるなんて、とても受け入れがたい現実だった。彼女の望みを叶えてやりたい、守ってやりたい、と思っていた自分自身が、彼女の悩みのタネになってしまった。邪魔者はぼくの方だった。
その夜、爆発しそこねて行き場を失った怒りや悔しさがゴチャゴチャになった激情は、時間とともにさらに大きく膨れあがってきた。“なにかをしよう”、“色恋ではないなにかを”。自分の自信と誇りを取り戻すため、なにかをしなければ頭も体もおかしくなりそうだった。
大学の友人たちの姿は急に色あせ、遠い世界のことのように見え始めてしまった。