訳文が堅めでちょっと読みにくそうだが、手軽な本である。
こういう本を見るたびに、英語圏のデリダ研究は層が厚いんだろうなあ、と思ってしまう。
もちろん分かりやすいのは確かなのだが、いかんせん軽薄な印象は否めない。
本文では、脱構築の目論む「決定不能性」を「ゾンビ」としてパラフレーズしている点が面白かった。
死んでいるのに生きている、生きている死者。
そのどっちつかずの状態は、確かに「脱構築」の概念(?)に相応しいように思える。
だが、その一方でゾンビほど「脱構築」と相容れないあり方もあるまい。
何しろそれはもう絶対に死なないし、生き返ることもない。ゾンビはゾンビとして、永遠に徘徊し続けるだろう。
その意味で、ゾンビは「決定不能性」において奇妙に安定してしまっている、とはいえないだろうか。
もどかしいことに、「これがゾンビ=脱構築だ!」と言って公式化した瞬間に、脱構築の持つ揺らぎ、差異の戯れはもうどこか彼方へ消え去ってしまう。
それゆえ、デリダは生涯をかけて綱渡りのような言説を展開し続けなければならなかった。
進むも危険、戻るも危険、とどまるも危険な状況の中で、正義を希求する。
神のいない世界で、到来するはずのないメシアを待ち続けたのがデリダの行為(思想ではない)ではなかっただろうか。